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2017年12月26日(火) オリガ・モリソヴナの反語法

「オリガ・モリソヴナの反語法」−米原万里著を読み返す。読んだのが随分前で、多々忘れているところがあるから二度楽しめる。記憶力の悪さもたまには得になるものだ。次の展開が早く知りたくて、531ページもあるというのに無我夢中で読み切った。

1960年代、志摩は父親の転勤に伴いプラハのソビエト学校で学ぶ。そこで出会ったダンスの教師オリガ・モリソヴナに強く魅かれる。ドギツイ化粧と香水、時代錯誤な服を自信たっぷりに着こなし、強烈な反語法を駆使し生徒達を罵倒するオリガ。だが、学芸会などで生徒に披露させるダンスは非常に完成度が高く評判がいい。生徒も次第にダンスにのめりこんでいく。志摩と親友のカーチャは何かと謎の多いオリガのことを探る。しかし謎解きは解決しないうちに志摩は日本に帰国することになる。そして文通を約束した親友のカーチャも間もなくソビエトに帰り、スパイと疑われることを恐れ志摩に手紙を書くことはなかった。

30年後、ロシア語の翻訳者となった志摩は、訪れたモスクワで子供の頃の謎解きの続きが気になりだす。外務省資料館を訪れ、再びオリガについて探りはじめる・・・・。

ここからストーリーがオリガの生涯、過去のソビエトと現在のモスクワとを行き来しながら展開していく。大粛清の行われたスターリン時代の回想は、底抜けに暗く痛々しいことばかりだが、30年後のモスクワの場面になると、二人の太っちょの中年となった志摩とカーチャが豪快な食欲でオープンサンドを平らげたりして愛嬌のあるものになる。明暗の均整が取れているからただ苦い後味だけを感じなくて済む。そして何よりオリガの口から吐き出される罵詈雑言がユーモアに満ちていて傑作。ダンスのセンスを持ち合わせていない生徒がどんな滑稽な恰好で踊っているのか想像できて笑いがこみあげてくる。

「ぼくの考えでは・・・だって。フン。七面鳥も考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ」

「他人の手中にあるチンボコは太く見える」

「これは蝶の舞なんだ。まさかカバの日向ぼっこのつもりじゃないだろうね!?」

「いつになったらわかるんだい!自分のチンボコより高くは飛べないものなんだよ」

「ふん、そういうのを去勢豚はメス豚の上に跨ってから考えるっていうんだ」

集団の文化や風習の中で形成されて育まれていく″言語″を知るということはその集団のことを知る大きな手がかりとなる。そこに焦点を当てているところがさすが翻訳家だと思う。ロシア語ほど罵詈雑言の豊富な言語はない、と誇りをもつロシア人も多いそうだ。そして巻末の池澤夏樹との対談で日本語の標準語ほど罵詈雑言の乏しい言葉もなく、外国語を日本語の標準語に翻訳する時非常に苦しいと書かれていた。いつか"Sex and the city"をたまたま日本語の字幕付きで見てひっくり返ったことがあった。英語でそのまま聞いてるぶんには大した罵詈雑言でない言葉も、日本語の標準語に直すとたちまち強烈な響きとなっていちいち聞き流せなくなってしまうのだ。英語で聞くと″ただのアホ″っぽい軽い響きの性的な言葉の数々も、日本語の標準語に直された途端、逃げ出したくなるような卑猥な響きになってしまうのだった。だからだろう、そのままカタカナで書いていた箇所も多かった。

この物語はフィクションであるにしても、巻末には膨大な量の参考文献が挙げられていて、かなり正確にソビエトの史実に基づいて描かれたものなのだろうということが伺える。それも日本語に訳されて出版されているものだけではなく、ロシア語の原書で読んだらしいものも多々あり頼もしい限りだ。わたしのようなソビエトについて無知な人にはとっかかりやすく興味を抱く手がかりとなる。

巻末で、今度はアルジェリアの少年と東ドイツの少年とハンガリーの少年、男の子3人の物語を書きたい、とそんな構想が書かれていた。アルジェリアの少年については実在するモデルがいて、彼を追跡して書きたい、と。それは実現することなく著者はさっさと天国へ旅立ってしまった。読みたかったな、その物語。

さて、読書の合間に家事をこなすも、心はすっかりロシアに染まっている。ランチは焼きピロシキだ。中身はマッシュポテト。リュカがひどく気に入って5個も食べた。レンズ豆とトマトのスープのおともにぴったりだった。


Michelina |MAIL