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夕飯の支度をしていると誰かが勢いよくドアをノックする。開けてみるとそこには階下のマクシムが。84歳の老人で軽度のアルツハイマーを患っている。いつもは会う度に″キスして″と自分の頬を指さすのだが、今日は様子が違う。
「リュカはいるか!」
戸惑いながら、まだ帰宅してないと告げる。そこに隣人のナタリアがちょうど帰宅。マクシムと早口で言葉を交わし、二人で階下に消えていった。
事情は後でリュカから聞いて明らかになった。マクシムの妻マリー=ルイーズがインフルエンザにかかっていて、トイレで倒れてしまったのだという。老いたマクシムはひとりで抱えられず助けを求めにきたのだった。
「ねぇ、昨日マクシムとキス交わしてないよね?」
「してないよ?」
「よかった。結局マクシムもインフルエンザにかかって一緒に寝込んでるから」
「えっ!!」
この町ではインフルエンザがまん延している。それもそのはず。
「もうこんな小さな町で知り合い全員にチュッチュチュッチュっとキスしてたら一向に前に進めないわよ」
イギリス人の知人は嘆く。
リュカは出かける時はなるべく人通りのない道を通りたがる。キスの嵐で前に進めないからだ。
インフルエンザがまん延するようになってからはリュカもわたしもマスクをして人目を避けるように細く暗い路地を選んで歩いている。が、無邪気な村人に呼び止められ、挨拶のキスを交わす羽目になったりする。予防注射を打ったこともなければ一度もかかったことがない。そんな人間が異国でそんなものにかかったら死に至りそうだとぞっとする。帰宅すると手と口のみならず頬も入念に洗い流す。春までこのキスの挨拶休止にしませんか?
(写真:表通りにもすっかり冬がやってきた)