My life as a cat
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2017年12月03日(日) 日曜のイタリア人のランチ

リュカの友人がランチに招いてくれた。イタリア人のホストが腕を振るうというので興味津々でやってきた。



モナコの街と地中海を一望する丘の上にある家は、彼のお義母さんの財産で、モナコに住む彼らがたまに別室のように使用するのみとのこと。なんとも贅沢。こじんまりとした家に人生で集めた好きな物だけ詰め込んだような雰囲気。老後こんな家で暮らせたらどんなに素敵かと想像した。






ガレットデロワに入ってるフェーブ、蒐めている人けっこういるね。



前菜に野菜たっぷり。パン粉をまぶして焼いてあったり、ペコリーノがかかっていたり、微妙に味付けが違う。野菜ひとつずつ調理して皿の上で各自好きなように混ぜて食べるのがイタリアン・スタイルなのだとか。17歳の息子さんはパンに挟んでハンバーガーにしていた。どれもシンプルで美味しくってこれで終わりでもいいか、ってくらい食べてしまった。



ところがこんな大盛りのポレンタが出てきた。みんなのはラグーのソースだったが、わたし用に野菜だけのソースを用意してくれたというので、頑張って平らげた。でも美味しかったぁ。

デザートにリモンチェッロやポルトと共に、洋梨のタルト、果物、苺のタルト、ヘーゼルナッツのタルトと各自好きなものを好きなだけ皿に取っていただいた。スペイン語、イタリア語、フランス語、英語が飛び交う。ここで暮らすようになって感じたことは、フランス語のみならず、イタリア語とスペイン語も少しずつでも覚えたらもっと会話の幅が広がって楽しいだろうということ。ラテンの国の人々は総じて英語があまり得意でない。ドイツ人などは英語が得意だ。単純に名詞に性がある言語とそうでないもので文法が違ってくるというところに起因しているのか、それとももっと深く精神的構造や歴史的背景の違いがそうしているのか(例えばカトリックかプロテスタントかなど)と想像してみるが、真相は解らない。

そろそろコーヒーで締めくくりたいと思っていると、ホストが立ち上がった。

「みなさんに悪いお知らせがあります。コーヒー買い忘れました」

それでもイタリア人か!っという野次が飛び、結局お義母さんがどこかにあるかもと戸棚を探して幸運にも出てきたのだった。めでたく食後のエスプレッソにありつき、お開きとなった。

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ベッドに入ったところにオーストラリアからメッセージが入った。16年生きたわたしの猫が天国へ旅立った。夏に旅立ったミュンちゃんと同い年。ボランティア活動をしようと見学に行った猫のシェルターでの出会いだった。成猫だったが、何らかの事情で飼えなくなって連れこまれたのだという。ソックスにひとめぼれして連れて帰りたいと思ったが、引越しも多く永住権もないボーイ・フレンドは反対した。諦めてシェルターを去ったけれど、その夜その猫が冷たいケージでひとりで寝ることを思って涙がポロポロでてきた。猫のためではなく自分自身の寂しさのための涙だったのだと思うが。結局ボーイ・フレンドが折れる形となって翌日またシェルターへ行ったのだった。猫というのは飼ってみると想像と違うものなのだ。猫はいまいち、と言っていたボーイ・フレンドこそがいちばんアホのように可愛がり、結局最期まで添い遂げたのだった。入院していた動物病院に彼が仕事前に立ち寄ったところで息を引き取ったそうだ。ずっと生きられるわけではないと解っていてもやっぱりどこか切ない。

わたしと数年を一緒に過ごしてくれてありがとう

と天国にメッセージを送った。

Michelina |MAIL