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穏やかな一日の終わりの静かな夜、ベッドの中でアゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳の「文盲」を読む。全て現在形の端的な言葉で語られた90ページたらずの自伝。愛想とは無縁のあまりにもの簡素な言葉のひとつひとつに凝縮された孤独や悲しみや自己のアイデンティティとの葛藤がひしひしと伝わってくる。
A.クリストフは、戦争とスターリン影響下のハンガリーで生まれ育ち、やがて成人して生後8か月の赤ん坊を抱えてスイスへ亡命する。命がけで亡命したにも関わらず、成功の暁に満ち足りた生活など約束されてはいない。言葉の解らない国で、多くの亡命者と同じように、工場での単調な仕事に従事し、故郷に残してきた家族を思い孤独に過ごす。そんな希望の見えない日々の中で懸命に習得したフランス語で夜な夜な小説を書きあげる。コネも伝手もなく、友人の勧めでパリの三大出版社と呼ばれるところに、ポストからいきなり書き上げた小説を送り付ける。二社には軽くあしらわれるものの、残る一社の編集者は感嘆の声をあげ、その小説が出版されることとなる。それが彼女の名を世に知らしめた「悪童日記」だ。
フィクションであるはずの「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」は、著者の体験がベースになっていることが解る。しかし、実際の著者の暮らしは悪童日記よりよほど貧しく過酷だ。小説では、双子が自分達でスペクタクル(見世物)をして稼いだお小遣いで靴を買いに行く。お金は一足分しかなかったのだが、ナチスの魔の手が迫っていて、命の危機を感じていた店主は結局だたで二人に靴をあげるのだった。実際の著者は1歳上の兄と引き裂かれ、会うことが許されず、また会いに行く電車賃もない。靴は修理に出したものの、代金の支払いを先延ばしにしてもらい、そのお金の工面に頭を悩ませる。結局学校でスペクタクルをして小遣い稼ぎを始めるのだが。1940年代のハンガリーで、子供が芸をして小遣い稼ぎをする自由があったことや、大人や子供までもがそれに小銭を費やしたというのが意外だ。日々のパンと同じくらい笑いを求めていたということなのか。
国の動乱に翻弄され、9歳でドイツ語を、11歳で今度はロシア語を学ぶことを押し付けられ、大人になって命がけで亡命したスイスのフランス語圏、とめまぐるしく母語ではない言葉を習得する必要に迫られた著者は、ハンガリー人であるという″自己のアイデンティティとの葛藤″いう意味でフランス語を”敵語”と呼ぶ。訳者の堀茂樹さんの言葉を借りれば、″集団の記憶・価値観・文化が織り込まれた″言語を押し付けられることは、アイデンティティの剥奪と同じ意味を持つ。
彼女の作品はどれも一度読み始めたらその独特な世界観にぐいぐいと引き込まれて、ついつい夜更かししてしまう。訳者が素晴らしいことも理由のひとつだろう。本当に彼女の作品が好きだというその情熱がひしひしと伝わってくる。翻訳された本はあまり好きではないのだが、A.クリストフ作品は良い翻訳家が日本語に訳してくれたことに感謝だ。今では40か国語にも訳されている「悪童日記」のような作品を生みだした作家の亡き後、訳者が彼女のスイスのアパルトマンを訪ねてみると、そこは″成功者″などとは程遠いあまりにも地味で質素な空家だったという。浮世事には頓着せず、どんな状況下に於いても、読むことと書くことに生涯をささげた。その一途さゆえに母語と敵語の間でもがき苦しみ、その一途さがまた彼女の作品を世に送り込んだのでしょう。
必要最小限しか語らないのが彼女のスタイルであるけれど、彼女がハンガリーに残してきたお兄さんと再会したのか、また、したとして、晩年どんな関係を築いたのか(小説と同じで子供の頃のような一体感や濃密な信頼関係は二度と取り戻すことができなかったのか)、それを語らずしてこの世を去ってしまったことがとても残念だ。