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農園で顔を合わせる同年代の女性が手作りの味噌をお裾分けしてくれた。
お裾分けしてくれた。そう思っていたのだが。。。
「ありがとう。いただきます」
で終わろうとすると、こんなことを言い出した。
「どういたしまして。口に合うかわからないので少しだけしか持ってこなかったのだけど、美味しかったらもっと持ってくるわ。でね、その時に″心づけ″が欲しいの。わたし犬が好きで盲導犬育成する機関に寄付してるの」
大げさだが、この瞬間わたしの心の中でなにかがボロボロと綻んだように感じた。
「そうですか。とりあえずいただいてみますね」
と答えて半ば強引に会話を結んで5分程考えた。このボロボロの正体はなんなのか。無償と思い込んでいたところに金銭を要求されたせいだ。この人は単にわたしを慕ってくれているのだと思っていたのに、実は単に商品サンプルをもらっただけだったみたいな裏切られた気持ちになった(彼女にまったく悪気がないのは解る。だから本当に大げさなのだけど)。もしこの話が逆だったなら、こんな気持ちにはならなかっただろう。″盲導犬育成機関で寄付を募っているので、お味噌をいくらかで買ってくれない?″と言われたならば、快く了解したのでしょう。的と手段が同じでも順序が変わっただけで、物事の印象まですっかり変わってしまうことってあるのだ。心づけとか寄付と言われるものに対して、わたしには考えがある。自分が心を動かされて、真に感謝してるとか、助けたいとかそう思ったところに届けたい。盲導犬育成はけっこうだが、わたしはそれが実際どんな機関なのか知らない。次回会ったらごちそうさまというお礼と、わたしの心づけや寄付に関する考えを正直に話そう。それがいちばんお互いに気分が悪くならずに済む方法ではないか、という自分なりの結論に行き着いた。
わたしは変なところで非常の神経過敏だ。この話を聞いて、何をそんなに過剰に反応しているのかと首を傾げる人も多いのではないかと想像したりしている。でもこういう性分はなかなか変わらない。今夜は味噌を食べる気になれなかった。しかし明日になったらペロリと平らげてるような気もする。