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世間ではあらゆることに″めんどくさい″と気だるく言うのがクールだと思っている人がなんと多いのだろう。ある同年代の女性の知人は、パーティーなどで出会うほぼ全ての男性を″めんどくさい人″と呼んでいる。よく聞いているとどうも″めんどくさい″という発言の裏には、自分が常に彼らより優位に立って評価する上の立場にありたいという無理な背伸びが見え隠れする。誰も無理強いしていないのだから、本当にめんどくさいなら参加しなければいいのに。
結婚したいと人にアドバイスを求めていた50歳で彼女いない歴50年の同僚は、
「まず実家を出たほうがいいですよ。50歳の男がいまだにお母さんが作ったごはん食べてるってフツーにキモいですよ」
と3度結婚した男に言われ、
「だって、家事とかめんどくさいんだもん」
などとぐじぐじ言う。
「家事がめんどくさいっていうのは人生がめんどくさいっていうのと同じですよ。そんな人と結婚したい女の人いると思う?」
と、口を挟むと、さすがに女のわたしの一撃が効いたようで、うな垂れていた。
″めんどくさい″という言葉には負の力が宿っているように感じられる。この言葉を連発する人の周囲にいて、良いことが起こりそうな気がしない。言葉に出さなくてもなんとなくめんどくさいと思ってしまうことは日常のあちこちにある。でもそれをめんどくさいと言って放置するか、黙々とこなすのかで長い人生の中で大きな違いが出てくるのではないのか。わたしは″めんどくさい″というフィーリングは捨てると決めた。ただその日やることの計画を立てる。例えば今夜はベッドルームを掃除して、夕飯は蒸したコーンとハーブライスを作る。そしてテレビでフランス語講座を観る。疲れて寝てしまったりして、計画を遂行できない日もある。でもそれはめんどくさいのとは違う。
″Just do it!"
ってな感じで爽やかで潔く生活したい。