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My life as a cat DiaryINDEX|past|will
ランチの時間は貴重な読書の時間としてるのに、わざわざ前に座って話しかけてくる男性がいる。毎日は来ないけど週1くらいかな。どうもあちらとしては、いつもひとりでいるからさびしいだろうという気遣いのようなのだが、こちらとしては週1でも貴重な読書の時間を失うのが惜しい。週1くらいはソーシャルランチをするのが人として正しいのだろうかとも考えたが、その男性と本を比べると一方通行でも本のほうがずっと面白く、とても本から顔をあげて彼と喋る気にはなれない。仕事ではお世話になっているから邪険にはできず、挨拶くらいはするが、その後に言葉を発すると読書に戻るタイミングを逃す。″読書がしたいので″とはっきり言ったほうがお互い気持ちがいいのか、やはりソーシャルすべきなのかとなどと悶々と考えているうちに、やがてそれは彼の無神経さに対する苛立ちに変わった。彼のことは仕事は有能で早くに結婚して子供がふたりいるということくらいしか知らない。仕事にも家庭にも飽き飽きしているのはみえみえだ。だったら趣味の話のひとつでもしてくれればいいが、そんな話も聞いたことがない。少なくともわたしの目に映っているのは、一生懸命勉強して、良い学校を出て、良い企業に就職して、結婚して、子供が出来て。。。そこまでは面白い人だったに違いないが、そこら辺から歩みを止めてしまったただの″おっさん″だ(ホリエモン曰くおっさんの定義は思考停止していることらしい)。だいたい読んでる本の筆者だって彼くらいの年だったりするが、経験値や想像力は雲泥の差だ。人と人や人と物を天秤にかけてどちらがより面白いかなどとやって選び取っていくのは愚かなことなのか、もっと誰にでも心を開いて汎愛するべきなのかとも悩んだが、こういう思考停止したおっさんは相手では、優しさなど脚を開いただけのように取られるのが目に見えている。無視を決めこむのも彼にとって何か考えるきっかけになるかもしれないという結論に達した。
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