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土曜の夜にカミーユ君に手を振って、めそめそといつまでも泣いている暇もなく、日曜は鎌倉でハイキング、月曜日は友人と美味しい物巡り、と予定がぎっしりと詰まっていたのは幸いだった。遊び疲れて体が重くなったころ、カミーユ君から無事に家に着いたとの連絡が来た。
友人との間で話題にのぼった「信頼すること」というテーマ、自分なりに考えてみた。
アメリカに移民して、ひとり苦労して生きている女の子が、同じ境遇の男に言葉巧みにお金をせがまれる。彼女は解っている。″貸したお金″は返ってくることはないのだと。でも彼女は自分のしてきた苦労を彼の姿に重ねて、助けてあげたいと思ったのだ。信じてあげることで相手が信頼できる人に変わってくれるかもしれないという淡い期待をこめて。結局男はお金を持ったまま行方をくらませた。自分が苦労してもまだ人にあげられる愛を持ち合わせている女の子と、それに答える余裕もない男。この女の子は苦労しても気持ちの豊かさを失わなかった。生まれつきの悪人なんてそう滅多にいない。男もいつか彼女のくれた優しさに気付いて、自分の醜態を恥じるだろうか。
人を信じることができるというのは、もうそれだけで十分強みだ。その人の生い立ちが想像できる。想像したような生い立ちではなかったとしたら、その人が自力で精神の豊かさを培ったことを尊敬する。騙す人よりも、信じない人よりも、信じて騙される人は豊かだ。
(写真:丸の内のシャンパンカラーのデコレーション)