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2013年08月06日(火) |
朝日の燦々と降り注ぐブラチスラヴァを歩く |
窓を開け放つと夏の夜風が気持ち良くて、よく眠れた。
バスルームに″For a healthy environment" という見出しのこんなプレートが貼られていた。
ホテルの部屋には、客にちょっとした贅沢な気分を味あわせるために余計にタオルを置いてくれていているけれど、やっぱり使用しなければ、洗わずに済み、水や洗剤を節約できるわけだ。だから紛らわしい置き方をしないで、使用したタオルはくしゃっと投げておいて、使用しないものはそれが解るように放置して欲しいということだ。ごもっともです。
ホテルで朝食を摂って、朝のブラチスラヴァを散歩した。
八百屋の女将はダルそうにコーヒーを啜っている。変わった果物は特に見当たらない。
丘の上にあるブラチスラヴァ城に行ってみることにした。トラムもあるが、旧市街から歩いても余裕だ。入口付近までくると守衛(?)の立つ小屋がある。なんでハート型とかにくり抜いてあったりするのかしら。可愛いのでパシャリ。
入口もなんだか愛嬌あるわ〜。
ここが城のゲート。
ブラチスラヴァ城から見下ろす町とドナウ川。朝日の燦々と降り注ぐブラチスラヴァを見下ろすと、歴史の波に翻弄され、それが時には人々の生活を脅かし、心に暗い影を落としたなどとは想像できない。しみじみ過去のボーイフレンドのことを思う。愛国心とまでいかなくても、わたしはそれなりに自分の母国を誇りに思ってきた。だから彼が母国の話になると急に口数が少なくなって、しまいには口をつぐんでしまうことが辛かった。その胸中にどんな思いがあるのか、どんなふうに育ったのか、どんな暮らしをしてきたのか、過去のことは知る由もなかったし、両親の住む母国に全く執着がないという感覚が日本人のわたしにはとてつもなく哀しく思えた。国籍がまた違うところにあるという複雑さも彼の生活を難しくしていたのかもしれない。
「人々は空腹を満たせるけど、ただそれだけ。貯金したり、ヴァカンスにでる余裕はない」
というぶっきらぼうな説明から想像するしかなかった。共産主義体制下の中で海外に出る自由もなく育ち、大人になる頃それが崩壊して、やっと国外へうまく移民した。どうしてももう母国に帰りたくなくて、悪いことなど何ひとつしていない真面目な勤め人だったというのに、イミグレーションをくぐることはおろか、空港に寄り付くのも恐かったのでしょう。豊かな国から来たわたしにはそんな事情を理解するのに長い時間がかかってしまった。別れてから、あの時解ってあげられればよかったと思うことにぶち当たるたびに、胸が締め付けられるのです。
カフェで休憩。ブラチスラヴァのカフェ文化は新しいのだろうか。パリのカフェなんかは老舗です、どすこいっ!みたいな貫禄を感じたが、ブラチスラヴァなんかは新入りです、どうぞよろしく、ぺこり!という雰囲気のものばかりだ。客もいまいち板についていない感じだ。
ホテルに戻り、ざっと荷物を纏めた。さて、ちょっと面白い偶然があった。ブラチスラヴァ出身の過去のボーイフレンドがオーストラリアで買ってくれたサングラスをずっと愛用していたのだが(もう10年になるか)、そろそろ寿命だったのだろう、ここでポッキリ折れてしまった。
「オーストラリアでブラチスラヴァ出身の男に購入され、最期には日本に持ち込まれたサングラスは、10年の月日を経て、その生涯をブラチスラヴァで終え、そこに骨を埋めた」
ちょっと面白い話だ。
さて、ブラチスラヴァ中央駅までやってきた。本当にこの駅が他国へ行く電車が走る駅なのか?という感じだが、新しもん勝ちみたいな日本の感覚がおかしいだけかもしれない。ここからチェコのプラハに向かう。