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夕方の報道特集で"迷惑動物の捕獲"というタイトルを挙げて、文字どおりあの手この手で捕獲するまでの一部始終を放送していた。石垣島に人間の勝手で持ち込まれて、捨てられ、野性化して繁殖したイグアナ。生態系を脅かすと捕獲に乗り出した。次々と捕獲されては環境省に引き渡すという。"環境省に引き渡す"ということは何を意味するのか。イグアナが住むべき場所に放してくれるわけではないのだろう。野良犬や野良猫のように"処分"する以外考えにくい。イグアナがうろうろとしていたという小学校の職員や父兄にマイクを向ける。
「これで安心した」「このまま減るといい」
とみんな口を揃える。ショックだった。子供をを教育する立場の人がこう言うのだから、子供もそう教わるのでしょう。奈良公園のシカさんは可愛いね、おせんべいをあげましょう、でも岩手の山のシカは迷惑だから、"処分"しましょう、動物園のイグアナは面白いね、でも校庭のイグアナは"処分"しましょう。人間の管理下に置かれた愛らしい動物と自分達の暮らしを脅かす動物は別物、だから迷惑だと思ったら"処分"すればいいと。
野生動物の被害を被ることもないところに住んで、動物の捕獲に反対!と一概に声をあげるのはフェアではない。自分の土地を荒らされたりする心配のある人もいるのだろう。でも未来を担う子供には"迷惑なら処分"などという時代遅れな発想ではなく、動物愛護という視点で、どう共生できるかと考えるように促したいところだ。21世紀に入って20世紀の夢だったテクノロジーはもはや夢ではなくなった。動物愛護だってもっと進化を遂げてもいいじゃないか。