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| 2013年03月08日(金) |
どこにいても美味しい"メシを食う" |
お金にならなくたって、人から羨まれなくたって、自分の好きなことに生きる人バンザイ!ここ数日、そんな人々をお見かけする機会に恵まれて非常に触発されている。
テレビ番組で見た相原さんという男性は、日本で国立大学の医学部を出て、小児科で働く医師だったが、ある日それをポンッと捨ててケニヤに移り住み、幼稚園を建てて園長先生となった。医師の白衣を身にまとい、すっきりと散髪した相原さんは、清潔で、さわやかで、仕事の後はいい車を乗り回して、高級レストランで食事をしていたりするのだろう、と想像させるような見た目だったが、今はケニヤで土と埃にまみれて、園児を指導し、園舎の修復もする。ベッド以外の家具のない小さな家に帰れば、ケニヤ人妻との間にできた二児の父親だ。夕飯はお米と野菜の煮込みの一品だけだが、その辺りでは夕飯を食べられるだけでも平均以上のようだ。彼がここに辿りついた経緯はこうだ。高校のとき、スウェーデンに留学した。現地の友達もできて、楽しいだけの毎日を送っていたが、ある日、友人のひとりが自殺した。そのことに大きなショックを受けて、命について深く考えるようになる。それが医学部をめざすきっかけとなる。そして小児科の医師として働いていたある日、こんな疑問が脳裏を過ぎる。日本ではひとつの命に大量なお金がかけられ、何人もの医師がひとつの命のために奮闘する。しかし、貧しい国ではどうだろう。医療どころかたったわずかな食料で飢え死にしなくてすむ命がぽんぽんと消えていく。命の重さは平等なはずなのに・・・。退職して、貯金した100万円だけを手にケニヤに渡った彼は、自ら肉体労働をして園舎を建てた。その辺りでは小学校が少なく、幼稚園から勉強をしないと、小学校に入れない。貧しく生まれた子供でも頑張り次第で貧困から抜け出せるようにと彼の幼稚園では読み書きを教える。月謝が払えない親はビーズアクセサリーを作ってそれを月謝代わりに収めればいい。それを日本に送ってバザーなどで売ってお金に代える。貧しい人々を相手にした商売はなかなかお金にならない。しかし、彼はとても生き生きとしていて幸せそうだ。
「ここでの日々は"食べなければならない"、また"食べさせなければならない"ということに尽きるんです。でもそれが私の生き甲斐となっています。私はここで"生き甲斐"を見つけました」
あぁ、なんて純真な人なのでしょう。どんなにお金を持っても、そこに"生き甲斐"を見いだせなければ、真価がないもの。日々巣立っていく自分の園児が、ちゃんと小学校に入り、しっかりと勉強して、自分で食べられるようになる、これこそが彼の幸せの源となるのでしょうね。
もうひとつ、最近読んだ「パリでメシを食う」という本にも同じような刺激を受けた。パリで"メシを食う"10人に取材したルポだ。パリという場所に辿りついたきっかけは十人十色だが、共通してるのはみんなとにかくエネルギッシュ。どんなに失敗を重ねようとも自分の好きなことめがけて突進していってしまう人々の姿はなんとも美しいと思わせてくれる。