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| 2012年12月08日(土) |
さようなら、また会う日まで |
同僚夫妻が任期を終えてアメリカに戻ることになり、三人で小さなお別れ会をした。以前は週末に彼らと顔を合わせる時はいつももっと大勢だったが、一人去り、二人去り・・・ついには三人になり、彼らも去る。東京駅の近くにある、スイス・フレンチのお店へ行き、コース料理とワインを摂った。三年前の寒い冬の日、ランチタイムに初めてハズバンドのほうを紹介されたのだが、その時の彼の暗い表情といったら忘れもしない。ペンシルベニアのど田舎でガールフレンドと車だけが彼の生活であり、そこからどこかに出て行きたいなどと思ったこともない青年が、ある日突然東京都心の高級アパートに押し込められてしまったのだ。品川駅で人どおりの多さに圧倒され、会社では日本人の寡黙な働きぶりに面食らい、人見知りな彼の唯一の理解者であったガールフレンドとは離れ離れ、日本も日本食も日本文化も全く興味が沸かず、週に一回通わされている日本語のクラスもいやいやだった。彼は″ホンモノ″のアメリカ人しか知らなかったから、わたしと話すことは人生初めての国際交流だったのだ。数ヶ月たったある日、彼に″ガールフレンドが自分のプロポーズを待っているようなのだがどう思うか″、と聞かれた。
「わたしだったら三年離れ離れなんてあり得ない。それにあなたは彼女と暮らした一年が毎日幸せだったというなら何を迷ってるの? 結婚してこちらで一緒に新しい生活をスタートするのもいいじゃない」
と答えた。
その夏、アメリカで休暇を過ごし、美しい″ワイフ″を連れて戻ってきた彼の表情はぐんと明るくなっていた。同郷出身のワイフは彼とは違い、東京探検と国際交流を大いに楽しんでいるようだった(こういうことに関しては女のほうがよほど長けているのだ)。やがては彼女も一応わたしの同僚(しかし在宅の仕事)となった。
会はおおいに盛り上がった。彼らの生まれ育った町とそこで暮らす閉鎖的な人々の話などとても面白かった。トラックに乗り、煙草をふかし、コーヒーを飲み、世間(といってもかなり狭い)全てに文句をたれる彼の叔父さんの話、彼が日本にいることを町中に自慢して歩く彼の両親の話、中国人が営む町で唯一の勘違い″日本食レストラン″の話、BBCニュースなど見る奴は″鼻持ちならないスノッビーな奴″と思われることなど、どれもアメリカの田舎の風景がありありと浮かんでくるようだった。またあうんの呼吸で故郷の話に夢中になる彼らが少し羨ましかった。
なんだかんだといっても人は居ついた土地に馴染んでいく。彼らが今こんなに故郷の話をするのは三年の間に随分と変わってしまった自分を取り巻く環境や感覚、そこから何一つ変わっていない故郷に戻っていく不安があるからなのだろう。
「チーズフォンデュなんて初めて食べた。こんな素敵なレストランも、みんなで同じ鍋にフォークを突っ込むような文化も故郷にはないわ」
とワイフが淋しそうにつぶやいていた。
帰り道、今まで一言たりとも日本語を話さなかった彼が急に″ミギ″″ヒダリ″などと誘導するのにも名残惜しさが感じられた。
お別れはいつでもさびしいけれど、またひとつ世界のどこかに″友人を訪ねて″行ける場所が出来たと思うことにしよう。