My life as a cat
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2012年11月27日(火) Auvers-sur-Oise

パリのサンラザール駅からポントワーズ行きの電車に乗った。電車はあまり治安がよくないと言うが、車窓は全て何かを使って引っ掻いて描いた落書きだらけだった。しかし、これはパースでもロンドンでも同じだった。こんなアホなことをするのは親からまともな躾をされていない子供と決まっている。つくづく欧米というのは貧困の差や家庭内で教育の差が激しいと思う。

パリ市内をでるとすぐに真新しい近代的なビルのオフィス街のようなのが遠方に見える。なるほど、パリ市内は歴史と美しい景観を守ることに力を注いで観光客を呼び、インダストリーは郊外に持っていく。さすが芸術に優れたフランス人、こういう美学は賞賛したい。東京など、どこもかしこも建物の高さがデコボコで視覚的に美しい街でないのは残念だ。

インダストリーエリアも抜けると今度は住宅地となるのだが、この景観は貧困の匂いが漂っていて暗い。線路脇の塀は落書きだらけで、どの建物もただマッチ箱に窓をはめ込んだだけのような殺風景なものばかりだった。マッチ箱の窓辺にはパリ市内のアパルトマンのように花は飾られていない。車内では小さな子供がお金をせがんで手をだしてまわってくる。乗客はみんな首を横に振る。この子供達にはお金は労働や物と交換されるものなのだと教える親がいないのだろう。

住宅地を抜けると美しい古く小さな村と田園の風景が見えてくる。ポントワーズで貨物列車のような見た目の電車に乗り換えて10分。オーヴェル・シュル・オワーズに到着。放浪人生だったゴッホ(Vincent Van Gogh)は、気に入った町をみつけるとそこにしばらく滞在し絵を描いた。ここは彼が人生最後に気に入って滞在を決め、自ら命を絶った場所だ。ゴッホの気に入った町だもの、美しいに違いない、そう期待してやってきたのだ。












駅の構内に小さなアトリエがあって、そこで絵を描いて売っているムッシューがいる。作品をあれこれ見せてくれたのだが、どれも有名画家の絵をそっくりにコピーしたものだった。この駅の壁などの絵は彼が描いたのだそうだ。

駅を出るとすぐに古本屋がある。なぜか日本語で"古本屋"と書かれている。

この日は村の学校の子供達がバザールをしていた。ここは立派な観光地だと思っていたが、なぜかみんな観光客なれしてなくてパリのようには英語も通じない。子供達はこの言葉の通じない怪物を恐る恐る眺めていたが、それでも話しかけると恥ずかしそうにうつむいて笑顔をみせた。












Auvers Town Hall(村役場)。ゴッホの絵とほぼ変わっていない。

この建物の2階がゴッホが最後に暮らしたメゾン。何度もオーナーが変わったものの今でも1階のレストランは健在。












この小路は昔はもう少し広かったのかもしれない。

















さて、ここでもうおなかがすいてきた。ランチタイムには早すぎてあまり開いているお店が無い。唯一開いていたこの店に入ってみた。若い男女が二人でやっているブラッスリーのようだ。英語はひとことたりとも通じない。日本人はフランス語の食べ物の名前ならひととおり知っているだろう。メニューは難なく理解できた。クアトロフロマージュ(4種類のチーズのピッツァ)とタルトタタンに決めた。が、"ピッツァ1枚はわたしには大きすぎるので半分にして欲しい"とは絵で描いて説明した。するとお姉さんが丸皿のあとの半分のスペースにレタスの絵を描いたのでOui!!と返事した。

客はわたしひとり。店内の雰囲気もとてもいいのに、客がいない。まずいところに来てしまったのではないかという気もしてきた。が、20分後、出てきたピッツァを見てわたしはなんて運がいいのだろうと思った。窯焼きのピッツァは薄い生地で、4種類のチーズはさすがフランス人、油ギトギトの胸焼けするようなのではなく、熱しても簡単に溶けそうにない、ほろ苦い大人の味のグルメなチーズが選ばれていた。こんな美味しいピッツァは初めてだ。それに続いて出てきた熱々のタルトタタンは生地はごく薄くあともうぎっしりリンゴ。塩キャラメルアイスを絡めながら食べる。これも絶品。

大満足で店を出るころには地元民らしき男達が沸いてきて朝から酒を飲んでいた。

おなかを満たしたらシャトーを散歩。ひとりポツリと佇んでいた地元民らしい若い青年と話をすると、友達と待ち合わせをしているのだという。"シャトーで待ち合わせ"って、かっこいいね。

これがシャトーの庭。

このようにあちこちに見所への矢印がでている。そもそも村の道は単純でそう迷うこともない。

















Notre Dame D'Auvers 教会


Buste (statue) de DAUBIGNY ドビーニーの像とドビーニーが見ている景色

ここから田園の中の一本道を歩いて行く。












ゴッホの描いた田園の風景もあまり変わっていない。














そしてこれがこの旅のクライマックス。ゴッホの墓。もっと特別なところにあるのかと思ったが、どうも墓地の中に他の墓と並んでなんら優遇されていないようだ。最初は見つけ出すことができず、通りかかった地元民の女の子に聞いたら、

「ゴッホの墓?あぁ、聞いたことあるわね。この沢山あるうちのひとつよ。よかったら見つけるの手伝うわよ」

と言われた。"聞いたことがある"、やはりその程度なのか。彼女のオファーをありがたく受け入れ手伝ってもらった。あった!彼女が指差したのは他のと比べても小さな小さな墓だった。そして彼女はゴッホなどまったく興味がないのだろう、見つけるとじゃぁね〜とそそくさと去っていった。どうも彼女に限らず、この村の人々も、いえフランス全体ゴッホという存在は外国人のわたしが思うほど大きくないようなのだ。女性の愛には恵まれなかったゴッホを人生でずっと支え続けて、彼が自殺した翌年後を追うように自殺してしまった弟のテオと仲良く並んだこの墓の姿にじーんと胸が熱くなった。死んでから有名になり賞賛される、なんて皮肉なのでしょう。墓にはわたしひとりきり。"ゴッホとサシで話した"、これがこの旅一番のわたしの自慢話となったのでした。


Michelina |MAIL