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日本語でも英語でも醜い事をする人をブタに例えたりする表現があるけれど、わたしはあれが大嫌い。だってブタはとても愛らしい動物で、本当は汚くも臭くもないのだ。それに食肉用でないブタは太っていない。とてもアクティブで遊ぶのが大好きな動物だ。汚くて臭くなってしまうのは、食肉用に効率良く脂肪をつけさせようと身動きが取れないようなブタ小屋に閉じ込められているからだ。アメリカのド田舎から来た知人が、ブタをペットとして飼っていたから豚肉だけは食べられないという話を聞いたので、映画などでそういうセリフを聞くたびに抗議したくなるのだと話したら大いに共感を得たのでとても嬉しかった。ブタは犬並に人に近い動物で、彼が話しかければちゃんと鼻をならすのだそうだ。
子供の頃、家の裏を流れる川の向こう岸にブタ小屋(刑務所をブタ小屋と呼ぶ表現も聞いたことがある。それだけブタ小屋の環境が悪いということなのか、ブタは悪いことなどしていないのに・・・)があった。空き地のようなところに建てられた小さな小屋でいつも薄暗く気味の悪いところで、そこにブタ達がギュウギュウ詰めになってひどい悪臭を放っていた。やがてそれは取り壊され、また空き地になった。そして今度はそこに動物が捨てられるようになった。子供だったわたしは毎日食料を運んで、それでも育て方を知らないから、ある朝小さな命が息絶えているのを見ては泣きながらそこに埋めて木の枝を立てただけの墓を作った。幸せいっぱいの子供の頃の思い出の中で、悲しい思い出といわれたら、思いつくのはそういう不運な動物達のことばかりだ。
″Babe″という映画があった。食肉にされる寸前のブタが必死で脱走してしまうコメディで、それなりによい映画なのだが、わたしはこういう話はどうも笑えない("Chicken run"も然りだ)。しかし″Bebe"という名を子ブタちゃんにあげたのは拍手である。