My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2012年07月15日(日) 東大ツアー

東大で働いている友人がキャンパスを案内してくれるというので行ってきた。まずは赤門。たまたまなのだが、本郷三丁目までの電車の中で宇野千代の「生きて行く私」という著者の誕生から85歳までの人生を綴った自叙伝を読みながら来た。放蕩無頼の父親に似たとあっさり認め、それに抗いもせず、欲するままに欲する場所に居ついてしまうというような浮雲のような人生である。その影には彼女に裏切られた男が何人もいるというのに、当人がまったく悪びれていないだけでなく、裏切られた側から恨まれたりするような節もない。一般的に"苦労"といわれるような暮らしをまったく苦に思わず、むしろゲーム感覚で楽しんでしまうような心の明るい人々に囲まれてきたその育ちの良さで、その邪気のない性格が好感を呼び、彼女に触れると"怨恨"などという陰湿な感情は吹き飛ばされてしまうのではないかというような不思議なエネルギーを感じる。このあっけらかんとした性格こそ長生きの秘訣なのだろうか。その数々の裏切りエピソードの一説に、こんな話があった。従兄弟にあたる悟と恋愛関係になり山口から悟の進学した東京帝大(東大の前身)の近くの女髪結いの2階へ移り住み、生活が貧しくてあらゆるものを質屋に入れた。悟の卒業と同時に北海道へ移り住み、そこで書くことを始める。ある日、2,3日で帰ると北海道に良人(おっと)の悟を残して一人で東京の本郷の中央公論社に自分の送った原稿がどうなっているのかと乗り込んでていき、思いも寄らず、それが「中央公論」にすでに掲載されていて、突然大きな原稿料を突き出されたのだった。その喜びを誰かと分かち合いたかったが、東京にそのような友達のひとりもいなかった。そのまま赤門の前を通り過ぎ、悟が学生のときに迷惑をかけた質屋の正吉のところに報告に行くと、正吉は"ひええ!!"とのけぞってその成功を喜んでくれた。それから山口の実家にも原稿料を見せに帰り、東京で乗り継ぐ北海道行きの通しチケットを買ったにも関わらず、その道中ほんのちょっと寄り道した東京で恋に堕ちて、二度と北海道へ戻らなかった。

ずっと昔、赤門の前のこの道を宇野千代が大金を握り締めて、その喜びを誰かに知らせたいという一心で足早に通り過ぎたのか、としみじみ想像した。

キャンパス内は休日ということもあってとても静かだった。東京というのは中心地ほど静かで、スペースにゆとりがあり、山手線の外側ほど狭い場所に建物と人をぎゅうぎゅうに詰めているものだが、ここもまさに東京の中心だ。レンガ造りの建物(地震でダメージを受けたのだろうか、かなり大掛かりな修復がされているようだ)に太さの立派な木、シンボルである銀杏並木が青々と美しい。三四郎池の周りなどは突然田舎の森の奥まで歩いてきたように深々としていて、飼いならされたような野良猫がのんびりと歩いていた。カフェやレストランも充実している。スタバ、サブウェイ、ローソン。。。ちょっと高そうなレストランなどなんでもある。食事をして帰ろうかと思ったが、どこも貸切などで入れなかった。


Michelina |MAIL