My life as a cat
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2012年03月10日(土) 生きる

黒澤明監督の「生きる」を観た。お役所というのは昔から変わらないのだろう、モノクロフィルムだというのに、今観ても違う空気を感じない。出だしのナレーションから一撃を食らう。映画は癌に侵された渡辺という男の胃袋のレントゲン写真から始まり、それから机にかがみこんでただ退屈そうに書類にハンコを押しているだけの渡辺を映し出しこう語る。

「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとはいえないからである。だめだ!これでは話にならない。これでは死骸も同然だ。いったいこれでいいのか。この男が本気でそう考えだすためには、この男の胃がもっと悪くなり、それからもっと無駄な時間が積み上げられる必要がある」

市役所の市民課長の渡辺は25年無遅刻・無欠勤で表彰されるような男で、夢もなく、これといった道楽もなく、酒も飲らず、忙しいフリをして課長の椅子を守ることが仕事という死んだも同然の日常をただやり過ごしていたが、ある日自分が胃癌で余命半年から一年しかないという事実を知り、大変なショックを受ける。死を目前にすると何かしなくてはならないという気に駆られる。しかし何をすればいいのか夢も道楽もなく生きてきた渡辺には見当もつかない。会社を無断で休み、酒場でぼんやり酒を飲むうちに常連客の遊び人の小説家と出会う。渡辺は自分が胃癌に侵され僅かな余命しか残されていないこと、その余命を精一杯「生きたい」のだと告げる。

「なるほど、不幸には立派な一面があるってのは本当ですな。つまり不幸は人間に真理を教えるんだ。生命がどんなに美しいものかと死に直面した時にはじめて知る」

渡辺の「生きたい」という気持ちに心をうたれた小説家は彼を連れて夜の街に繰り出し道楽を教える。パチンコにストリップにダンスホールなどという遊びを教わり、開眼する渡辺だったが、まだもっともっと何かやらなければならないという気分だ。だが、何をすればいいのか解らない。そこに部下の若い事務員の女と街でばったりでくわす。奔放で恐いもの知らずの女は役所があまりに退屈で転職するという。喫茶店でお茶を飲みながら女が、あまりにも退屈だったから課の男全員に仇名をつけたといって渡辺に聞かせるのだが、どの仇名も傑作で笑えた。口をパクパクあけて(おしゃべりで)、そのくせ中は空っぽの空洞でお高くとまってる男は"鯉のぼり"、何をとってもこれといった特徴がない男は"社員食堂の定食"、そして渡辺に関しては残酷にも"ミイラ"であった。しかしどの男も気力のない死んだも同然のような仇名がつけられていて、そりゃぁ、若い女がそんなところにいたら転職も考えるだろうなというくらい化け物揃いであった。渡辺は自分と全く違うこの女の言動に度肝を抜かれ、着いていけば何かを見つけられるのではないかと、この女を追い回すようになる。うんざり気味の女が今日が最後とつきあってくれた日に、新しい職場で自分が作ったはねるウサギのぬいぐるみを見せて、

「課長さんも何か作ってみたら」

となにげなく口走った言葉が大きく渡辺を動かすことになる。市役所では物作りなどできるわけがないと決め付けかけた渡辺の頭に、ふと市民の声を無視し続けて放っておいた公園建設の案が過ぎる。それからというもの残された余命を渡辺は公園建設に捧げ、最期はその公園で迎えたのだった。

渡辺の奮闘ぶりは葬式で役所の人々の口々に批判と共に語られる回想の中で見せられる。このシーンの彼らの会話の中には「生きた」渡辺への嫉妬からなる批判がよく見える。自分も「生きたい」。でもこのしがらみの中でどうすれば「生きる」ことができるのか、みんなもがいていた。皮肉にも死に直面した渡辺だからこそ「生きる」ことができたのだった。

震災から一年が経ち、こんなニュースを見た。日本の年間の自殺者の数は3万人超えと横ばい。その多くは10代である。だが、福島、岩手、宮城での自殺者は減少した。家族や親戚や友達の死に直面して生き残った人々だからこそ命の尊さを知っているということなのだろうか。夢だった体育の教師になってお金を貯めて家族に家を買いたいという若い女の子、いつか福島の家に帰りたいという老夫婦、津波にのまれた会社を何とか立て直そうとする中年男性、そこには精一杯「生きる」人々の姿がある。10代の若者が自ら命を絶つなんて酷い話だが、10代だからこそ逃げ場を見つけることが困難でどうしようもなくなってしまうのだろう。生きていれば良いことばかりではないが、悪いことだけでもないと悟るにはもう10年くらい生きなければならない。しかし、自ら命を絶つ勇気があるのなら、死ぬ気で自分をそこまで追い詰めている不幸から逃げ切って欲しいな。

中沢さんという一流のバイオリン職人の方が震災の流木を拾って2本のバイオリンを作り上げていくのを見た。今まで海外の木を扱ってきた中沢さんには国内の触りなれない木は扱いにくく、苦戦しながらも「優しい音色に仕上げたい」と丁寧に丁寧に作り上げていた。わたしは中沢さんに拾われた流木が命を吹き返したように美しい立派なバイオリンに生まれ変わったのを見てとても感動した。このバイオリンは、岩手の追悼式で演奏されるそうだ。その優しい音色はきっと被災した方々の心の奥底まで響き渡って、強く生き抜く力となることでしょうね。


Michelina |MAIL