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2012年02月24日(金) |
"好き"なだけライフ |
夕方なにげなくテレビをつけると、"世界の果ての日本人"(うろ覚え)という番組がやっていた。断片的に見たふたりの秘境に住む日本人。
ひとりは日本人女性(35歳)。道もないようなヒマラヤを望むインドの僻地に。17歳でインド舞踊に魅せられ単身インドに渡る。それからずっとインドに暮らし、12歳年下のインド人男性と結婚。インドでは一般的には年上の女性と結婚することはあまりメジャーではないため(わたしの友人いわく、家庭や教育によるということだが)、彼の家族の反対にあい、家族はなんとか説得したものの、親戚には彼女の年をごまかして紹介された。結婚と親や親戚が切っても切り離せないのがアジア的だが、インドなどは日本以上にその傾向が強そうだ。二人の住処は旦那さんの実家のアシュラムで朝の5時には水をかぶり身を清め、祈りで一日が始まる。奥さんはインド舞踊を教え、旦那さんは水を汲みに山を下る。彼女の義理のお父さんは彼らの娘の面倒を見て、夕方に食材を摘みにでかける(菜の花を沢山摘んでいた)。夕飯はやはりカレーだが、寺院であるため、瞑想の妨げになるチリや大蒜、しょうが、ネギなどのいわゆるスタミナ食材は一切使用されない。とてもマイルドな味なのだそうだ。
ふたりめは日本人男性(58歳)。50歳の時、日本に家族があるものの、家族を説得し、単身西アフリカ、ブルキナファソに渡る。居酒屋をオープンし、なんとか軌道に乗せたところで軍の暴動が起こり、日本人全員に避難勧告がでて泣く泣く手放すことに。日々の暮らしは野菜を作り、釣りをして魚を得る。釣れなければ食べられないが、
「そういう日はしょうがないね。食べなくてもいいんだ。」
という言葉が印象的だった。運任せ。こんな広大な自然の中で暮らしているとそういう大らかな気持ちになれるんだろう。しかし、釣った魚と畑で採れた野菜の料理、すごく美味しそうだった。自宅には本当にテーブルと椅子しかない。もう一度自分のお店を持って、ここの人に日本食を振舞いたいのだと、ここの人が日常的に米を食べることと、そこにソースをかけるのが人気なことに目をつけ、牛丼を売ることにした。小さな掘立小屋のような店舗を借り、始めたお店、出だしはなかなか良い。彼は一旗あげたいわけではない。この商売でお金を貯めて、ここに孤児院を建てたいのだ。外貨に頼らないところが良いと思う。一度はお金が貯まり、建物までできたもののあと一息というところで例の軍の暴動が起きて、知人にお金をつかいこまれてしまい、その建物は他人の手に渡ってしまった。それでも彼はこの国とこの国の人が大好きだという。
このふたりに共通しているのは、あれが好き、あれも好き、これが好き、これも好き、と"好き"しかない。そして、あれがある、あれもある、これがある、これもある、とあるものしかカウントしない。そもそも日本を離れて、あれもない、これもない、とないものばかりをカウントしてしまうような人は海外暮らしには向かないのでしょう。
"好き"に一目散で、"好き"だけに生きる。儚い人生だもの、こうありたい。