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3連休に突入する前夜、適当に社内から集められた"気楽に飲みましょう会"のメンバーと飲みに行った。さぞかしお勉強が出来たのだろう地味な男の子達ばかりで、出会いもない、あってももてそうにもない感じだけれど、彼らといるとその懸命さや誠実さが、日本の男の子も捨てたもんじゃないなと思わせてくれる。不倫や浮気を黙認しながらも体裁よく結婚生活を維持していく文化は受け入れがたいけれど、そんなこととは無縁に生きていく人々が目立たないだけで本当は沢山いるのだ。
連休初日の夜は何度かパーティーで顔を合わせて意気投合した同僚と飲みに行った。海外生活や離婚も経験している彼女は、突き抜けて脱線したような話題からどこまでも重い話題もこなせる人で、"女の迫力"のようなものがあり、社内の噂話と合コンにあけくれている他の女の子達とは全く一線を画していて、とても印象深い夜となった。中でも、じーんと胸に響いたのは彼女が仕事を通じて参加したセミナーの話。本来は又聞きで一般公開している日記に書くものではないのだろうけれど、この日記はわたしの人生のメモ帳だからそう理解して欲しい。講演したのはある大手企業の重役。彼は結婚して次々と3人の子供に恵まれたものの、下の二人は重度の障害児だった。あくせくと働き、病院に通わせる忙しい毎日の繰り返しの中で、奥さんも精神を病んでしまい、自殺未遂を繰り返すようになる。家族は壊れて行き、やがては健康だった一番上の娘まで自殺未遂をしてしまう。その中で彼はなんとか家族を建て直そうと奮闘する。もちろん残業なんてしていられない(ここが仕事術の登場でセミナーの趣旨となるのだろう)。彼の努力はやがて少しずつ実りはじめた。世の男性が当たり前と思っているような"奥さんが夕飯を作って待っていてくれること"も彼にとっては特別で、そんな日は涙がでるくらい嬉しいのだという。"離婚を考えたことはないのか"という質問に対する彼の答えにわたしは胸を打たれた。
「結婚生活に何が起きようともその人を選んだのは自分なのだから、一切の責任は自分にある。"愛”とは責任だ。」
責任を負えないならそれは愛ではないのかもしれない。離婚の理由を相手に押し付ける人は幼稚だ。それもこれも自分の選択なのだから自己責任なのだろう。
わたしも彼女も愛を模索中。語らいあってあっというまに夜が更けていったけれど、さて、わたしのひとつの愛の責任が家で待っている。この愛によってわたしは時間の自由を沢山失くしたけれど、玄関のドアを開けて、そこにおなかを見せてゴロゴロと喉を鳴らされれば、もうそんな不便は全て吹き飛んでしまう。