My life as a cat
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2011年09月17日(土) サヨナライツカ

やっと連休に入った。仕事も落ち着いてきたから、気持ちに余裕を持ってこの連休はゆっくり女友達とランチをしたり読書に耽る予定。ダミアンとは別れてしまった。はじめから将来を見据えて付き合うことができないだろうとお互いに思っていたけれど、ほんの微かな希望を握り締めて一緒にいた。本当に繊細で気の優しい良い青年だったし、クロエちゃんと暮らし始めてからは、わたしが夕飯を作っている間にクロエちゃんのトイレの掃除までしてくれたりして、そんな時、この人は結婚して子供が出来たら一緒に子育てをしてくれるような良い旦那さんになるだろうと思った。お互いにちくりちくりと思い悩んで苦しんできた。だから別れた夜はひととおり苦い涙を流したら、心がすっと軽くなったような気がした。

その数日後、6年前に別れた人からひらりとメールが届いた。わたし達の猫が元気だということと、別れてから後悔や反省も沢山しているのだということが書かれていた。わたしにだって後悔や反省が沢山ある。どちらが悪かったというわけではない。そういう巡り合わせだったのだろう。ただわたし達に出来ることはそれをしっかり胸に刻んでこれからの人生に生かすことだけだ。

しみじみ思う。わたしがひとつだけ誇れることは、誠実な人々とひたむきに恋愛してきたことだ。ひたむきに取り組んできたことは、たとえ成就しなくても自分の心に充実した感情を実らせる。だから何度失恋しても、もう恋愛なんてうんざりだとかそんな風に思わない。誰かをたまらなく愛おしいと思う気持ちも、不在の寂しさも全て宝物として胸に積み重ねていきたい。

とはいえ、すぐにまたどっぷりと恋愛したいなどという気分ではないな。先日、月の綺麗な夜に男友達が美味しいワインを用意して、彼のルーフトップバルコニーに招待してくれた。目の前を流れる川には屋形船が浮かび、賑やかな宴の声が聞こえてくる。月は正面のビル郡の間に、頭上には星が浮かんで、なんとも贅沢な気分だ。わたしはどちらかといえば、男として彼に興味を感じているけれど、あちらはわたしが自分と似過ぎていて恐いと言う。確かに似過ぎていて男同士のように気持ちが通じ合えてしまうので、男女として成立しそうにない。しかし、しばらくはこんな自由気ままの独身貴族(わたしはオールドメイドというのか?)を謳歌するのも悪くない。

たまたま手に取った辻仁成の「マダムと奥様」というエッセイに書かれていたこんな言葉が今のわたしの胸に響いた。

−まぁ、将来のことはわかりません。何が起こるのか人生というものは予測がつかないからこそ、同時に豊かなわけでもありますし。つねに、心の中に「サヨナライツカ」を持って生きることが私メは大事だと思うのです。「サヨナライツカ」を持つことによって、人は欲にしがみつかなくなります。その思いが実は「サヨナライツカ」という小説を生んだのでございます。相手にしがみついて生きると愛は腐りますのでね。家族の成員すべてが生き生きと独立して生きることが、そしてある種の緊張感を切実に感じながら生きることが何よりも大事なのでございますな。

この人を見ていると人間はいつからでも何度でもやり直せるとつくづく思う。2度の離婚でボロボロに傷ついたというようなことをどこかに書いていたけれど、それでもひたむきに生きる人にはまた優しく光が注がれる。3度目の結婚で繊細に尖った感情がじわりじわりと解けていくように幸せな日々慈しんで、同時にあれこれと学んでいるようだ。結婚して7年経って、夫に「よく出来た女だ」と言わせる中山美穂さんもすごい。一瞬で男を虜にしてしまうような人もいるけれど、わたしは噛めば噛むほど味が出るようなこんな女の人に憧れる。

さてと、近頃、女友達がこぞって恋愛話に色めきたっているから、しばらくは聞き役に徹することにしよう。


Michelina |MAIL