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2011年08月13日(土) |
Today is the first day of the rest of my life |
桐島洋子さんの本を読み始めたらあまりに鋭利な物言いが爽快で一気に三冊も読んでしまった。その中でも深く共感し、心に残ったお話。「女が冴えるとき」より −
"Today is the first day of the rest of my life"と歌いながら窓を開けることを毎朝の冒頭の行事にしているニューヨーク在住のマリアンという未亡人がいる。子育てを終えて、ある日事故であっけなく旦那をなくした彼女は、残りの人生の一日一日を手のひらに乗せて見つめるようにして愛しむようにじっくり濃密に生きたいと、不要な物は全て処分し、愛おしくてたまらないものだけに囲まれて陽気に暮らすようになった。開けたての窓の傍らで、プラスチックではない洗いざらしのランチマットを惜しみなく敷き、イギリスの女王様が突然やってきてもたじろがないくらいの絶品な紅茶を美しいカップに注ぎ、ゆっくりと朝食を摂る。その朝食は前夜のポトフを更に煮込んでオムレツにしたものだったりという暮らしの工夫が凝らされている。
「とても華奢で素敵なティーカップだけれど、ちょっとウッカリしたら割れてしまうんじゃないかしら」
という桐島さんにマリアンはこう答えた。
「割れますともさ。卵の殻みたいにカシャといってしまうわ。だからもう随分数が減ってしまったけれど、陶器なんて割れるからいいんじゃない。ボッテリドッテリと頑丈で幾久しく割れない茶碗なんて真っ平よ。人間だっていつか死ぬからこそ生きていることがいとおしいので、これが永久に続くのではゾッとしてしまうわ。生きているということは、刻々と移ろい滅びていくことだと思うのよ」
桐島さんは、
「マリアンの家にしばらく居候した私は暮らしの襞をこまやかにいつくしむ彼女の生活感覚に魅了され、私自身の成熟の季節を生きるうえにもさまざまなヒントを得ることができた」
と書いている。
年齢や状況は違えど、ひとり暮らしはわたしも同じだ。ひとりだから、さっと簡単に夕飯を摂ると人は多いようだけれど、わたしはひとりだからこそ、美味しいものを作って、自分で自分の一日の労をねぎらいたい。誰かと労わりあえばそれはそれでもっといいかもしれないけれど、ひとりだからと惨めったらしい暮らしをするのはいやだ。ひとりだろうとふたりだろうといつかは終わってしまう人生なのだから、その日までマリアンのように生活を愛して陽気に生きていたいものだと思う。