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きっかけは、久々に訪ねてきた母にこんな話を聞いたことだった。
「アフリカから来たなっちゃん(妹)のお友達がね、ビジネスで中東に行くと行って日本を出て以来連絡が途絶えてね、なっちゃんは心配して何度も電話したけど、連絡がとれないまま1年経ってしまったの。諦めた頃、家に手紙が届いたの。彼は刑務所にいたの。話があるというから、なっちゃんは刑務所に会いにいったのよ。」
彼の話によれば、中東で彼の友達に渡された荷物を持って帰国したところ、成田空港で大麻所持で逮捕されたという。他のアジア諸国と比べたら格段に大麻に対する刑の緩い日本で1年も刑務所にぶちこまれているとなると、一体どれだけ大量に持っていたのか。妹は彼の話を信じて、助けたいと思っているらしいのだった。わたしは咄嗟に憤慨した。これが日本人の20代前半くらいの若者かあるいは50代以降の年配者だったら本当に騙されたのかもしれないと思っただろう。日本という国では、そうとう見る目のない人でない限り「友達」を信頼して、痛い目をみることはないだろうし、その「友達」から渡された荷物をそのまま持って国外にでてしまうくらい危機管理のない人が多いし、事実そんな危機感を持たなくても暮らしていける。それがこの国と人々の良さだ。しかし一歩国外にでればたちまちそのままでは生きていけなくなる。彼がアフリカのどこから来たのか知らないし、"アフリカ"とひとくくりにしてしまうほどわたしの知識は薄弱でも、その男が危機感を持たずにのんびり生きてこられたとは考えにくく、まして彼は中東や日本と海外を渡り歩いていて、そんな幼稚な手にひっかかったというのは信じがたい。わたしでも他人から頼まれたものでも中身をしっかり確認せずして運んだりしない。
わたしは思ったまま母に言った。すっかりその男の話を鵜呑みにして信じていた母はそれを覆されて何かに苛立ったに違いなかった。話は一転し、二転し、妹の病気のことにまで及び、口論となり、母は隣の部屋でクロエちゃんと遊んでいた妹を連れて怒りながら帰っていってしまった。虚ろな目で母に手を引かれて去る妹がわたし達の口論をどう受け止めたのか気になって、その夜は眠れなかった。母はわたしの気持ちを全く理解していなかった。わたしが妹に厳しいことを言うことを冷酷だと避難した。母は甘やかすことで愛情を示していたが、わたしは正反対だった。子供の頃から姉のわたしは、
「お姉ちゃん出来るんだからやってあげなさい。」
と何でも"出来る"と決め付けられ、結局"出来る"ようになるしかなかった。一方5つ年の離れた妹は、
「なっちゃんは出来ないからお姉ちゃんにやってもらいなさい。」
と"出来ない"と決め付けられ、自分で"出来る"ことまで"出来ない"と思い込んでいた。大人になってもそれを引きずって夢や希望を持っても妹は自分は何も出来ないと思い込み、挑戦することすらしないできた。それが妹を鬱病に導いたのではないかと思わずにいられない。人間は夢や希望があって、それに向かって走って一喜一憂しているうちは鬱病などにはならないのではないかと思ったりする。妹がこんなふうになってわたしだって悲しんでいる。かつてはよく一緒に旅行にでかけたのだから。わたしが妹を救い出したいと発する言葉は母親に非難される。
「なっちゃんは病気で"出来ない"のにどうしてそんなこと言うの!」と。
一晩どっぷり悩んで落ち込んで、翌日妹に電話をかけてみた。うちの近くのカフェで話さないかと誘ったら、近頃は車の運転が出来るようになったらしくそこまでやってきた。妹と正面から向き合って話すのは何年ぶりだろう。車の運転ができるくらいになっただけあって、以前よりも目の焦点が定まっていた。アフリカ人の男のことや現況やらこれからのことをあれこれと話した。わたしは妹の話を聞きながらひとつひとつに自分の意見を返した。
「会社の外国人達にも聞いてみたけど、やっぱり他人から頼まれた荷物の中身を確認せずに運んでしまうような人は海外では相当な世間知らずしかやらないと思うんだ。その人はあなたにはよくしてくれたかもしれないけど、それはやってない証拠にはならないでしょ。」
「半信半疑なんだ。生活ぶりは至って質素だったからそんなことと関わってるって信じ難くて。」
「でも助けたいっていうなら確信をもってからだよ。」
「どのみちわたしはその件に関しては無力だから。」
「で、体のほうはどうなの。」
「一度カフェで働いたけど、1時間くらい歩き回ってると目がまわってきた。」
「薬は飲んでるの。」
「増えてる。」
「でもそれは効いてるの。」
「気休めなのかもしれない。」
「医者の言うことは100%正しいとは限らないよ。70%くらいは正しいかもしれないけど、あとの30%くらいは自分が自分の体に聞いてみないとわらないことが多いよ。気休めかもと思うなら、少し減らしてみれば。それで大丈夫だったら序々に減らしていくとか。」
「そうだね。やってみようかな。」
「で、これからどうするつもりでいるの。親ももう定年退職してるし、今度は逆にわたし達が面倒みなきゃいけなくなるんだよ。体調のことは置いといて、やりたいこととかないの。」
「漠然とだけど、結婚して子供が欲しいな。でも今付き合ってる人のことは本当にこの人で正しいのかって考えちゃう。」
「やりたい仕事とかはないの。前にフライトアテンダントになりたいって言ってたじゃない。あなたは接客なんかさせると客の欲するものを瞬時に読んだりする能力があるから、すごく向いてると思うよ。」
「でも、身長や年齢がね。。。。以前、**航空の社長とやらを知人が紹介してくれたんだけど、身長と年齢がだめだって言われた。」
「そんなアジアの見た目重視の航空会社じゃなくて、欧米系のでもいいじゃない。それほどステイタスは高くないけど、自分が飛行機に乗るのが好きだっていうんならその希望には叶ってるわけだし。」
「でも、お母さんはわたしが海外に住むなんて許さないよ。」
「だったらお母さんに"わたしが病気でずっと親元離れず寝ているのと、海外で生き生き働いているのとどっちが幸せか"って聞いてみなよ。ねぇ、お母さんはあれが出来ないこれが出来ないと出来ないことばかり挙げてて、もちろん本当に出来ないことは沢山あるよ。でもあなたが今考えなくちゃいけないのは、じゃぁ今何が出来るかということだよ。"出来ない"というばかりじゃひとつも前に進まないでしょ。"出来る"ことから始めなければ、一生進歩しないよ。好きなことを見つけて始めたら楽しくて楽しくて病気も治っちゃうかもしれないよ。」
わたしは母を通して聞くよりも直接本人から聞いて、もっと妹の状態を理解したし、妹はわたしが彼女を心配して少し厳しいことを言っているという真意を理解したようだった。海外の見知らぬ町を歩き回って、へとへとに疲れてはカフェで一休みして、地図を広げて次はどこを目指そうかと相談した。そんな記憶がふと甦って、いつかまた元通りになれるだろうかと想像した。
帰り際、妹が何故か"これあげる"とOREOを鞄から出した。口をあけてないOREOのファミリーパック一袋。家に向かって歩きながら何年も何年も心に留めた気持ちを全て吐き出した心地よさにむせび泣きそうになった。涙を封じ込めるようにOREOを口に放り込むと、たちまち食べている間にも虫歯になっていそうな甘い甘い味が口いっぱいにひろがった。