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2011年05月21日(土) |
La voie du chat |
うららかな春の夜、"みはし"であんみつを食べて、ほっこり良い気分になって上野公園を散歩した。真冬に寒さに蹲るように寝ていたホームレス達も、今はすっかり手足を延ばして平穏な眠りについている。その傍らには猫がいる。
先日観た"La voie du chat(邦題:ネコを探して)"というフランスの映画を思い出してダミアンに話した。ひとりの女性が鏡の中を彷徨う愛猫のクロに導かれて旅をするという架空のあらすじの中で、旅の途中で出会う猫と密接に関わるあらゆる社会問題を取り上げたドキュメンタリーだ。猫と長旅という設定がそもそもマッチしないし、仕方ないがフランス語で語られたものを日本語に直して不自然になってしまったような翻訳も、あらゆる意味でピンとこないシュールな作品だったが、取り上げられた問題は胸にずっしりと響いた。
水俣病では人間より先に猫に症状が顕れた。酔っ払って踊るようによろよろと歩いては狂ったようにぐるぐると回転し、崖から海に飛び込む猫を笑い転げて見ていた少年は、やがて中学3年生で自身も水俣病にかかり余生を病気と共にすることになる。戦災から立ち上がる為に経済成長が何よりも優先された時代、チッソの工場は国から守られていて、患者の訴訟などお金が目当てなのだと世間の冷たい視線を浴びるだけだった。心身共にどんなに辛かったかと語る言葉も、麻痺した神経のせいだろう、呂律がまわっていない。チッソは何万匹もの猫を無駄に解剖しては自分達の取り組みを見せつけ、その安全性を主張した。現在水俣市には猫達の慰霊碑がある。
そしてまた日本。猫を擬人化して、洋服を着せ人間と同じように接する。猫を飼いたいが飼えない人には猫カフェやレンタル猫なるものも存在する。猫をデリバリーして写真と見た目が違うと交換を求める客もいるという。人間を癒すために多大なストレスを強いられる猫達。主役の女性は「ばかげた消費社会だ」と批判するが、「しかしこれは20年後のヨーロッパの姿だろう」と予想する。こんな華やかな消費社会の裏側でひっそりと人知れず処分される猫の数は一日600匹。わずかな保護期間中に新たな飼い主に引き取られる猫はこのうちわずか2%。
ホームレスに面倒を見られている猫もいる。インタビューに答えるホームレスの手には缶ビール、そして市販のキャットフードも映っていた。ホームレスでも面倒を見る人がいれば猫は保健所に連れてはいかれないのだそうだ。"ばかげた消費社会"から脱落した人間の世話になる猫はのびのびと自由に歩き回り、服なんか着せられた猫よりよほど目が輝いていた。
アメリカでは"看取り猫"として病院で働く猫もいた。最期を一緒に看取ってくれる家族がいない人々のためにいるのだそうだ。猫は敏感に死期を読み取って、患者の死亡の数時間前になるとそこから離れないのだそうだ。ふと自分の最期を想像する。クロエちゃんに看取られる?いや、とんでもない。猫を残して死ねない。ふと、恐る恐るダミアンに聞いてみる。万が一わたしに何かあったらクロエちゃんの面倒を見てくれるかと。
"Of course! Don't worry. No problem"
ですって。よかった。だからわたしの財産は全てクロエちゃんとダミアンに捧げると申し出たのに、ガラクタばかりもらっても困ると思ったのか、全く嬉しそうじゃなかった。
(写真:近所の公園にて。こんな気高い見た目のノラちゃんは珍しい)