My life as a cat DiaryINDEX|past|will
言うまでもなく、日本列島は地震とそこから発生した二次被害、三次被害に動揺していて、わたしのような被害を被らなかった人間は固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。地震が発生した時はわたしはオフィスでいつもの午後を迎えていた。小さな地震などしょっちゅう体験しているというのに、何かのお告げのように、前日に限って同僚のブリティッシュ・ガイが、大きな揺れを感じたと訴えるので(実際はとても小さかった)、会社でヘルメットを支給してもらいなさい、とか、竹薮に逃げ込むといいらしい、とか、2005年に東京がM5の地震に見舞われた時は電車など止まってしまってホテルも満員で帰宅困難だった、などと地震を1度しか経験したことのない彼にあれこれと話していたのだ。それが翌日ものすごく揺れて机上のお茶が周りに飛び散り、ファイルが棚から落ちてくるので嫌な予感に包まれて、ぞっとした。揺れが収まってヘルメットをかぶり、靴を履き替え外に出た。小さな子供がいるお母さん達は泣きべそをかいて子供の安否を心配していた。わたしもクロエちゃんが心配で心の中で泣きべそをかいていた。後々、それは埋立地で地盤がゆるく、建物の建てつけもヤワなせいだと知ったが、M5の地震がM7に感じるくらいわたし達の職場は揺れが酷かったのだ。子供の安否を気遣うお母さんは同情を得るが、それが猫となると他人は目もくれない。他人にとっては「たかが猫」でもわたしにとっては唯一の家族なのだ。それにうちのコはメールのひとつも打てやしないんだから。。。。とぶつぶつ小言をつぶやきながら飛んで帰宅した。ドアを開けて拍子抜けした。物のひとつすら落っこちていない。朝家を出た時と同じ状態で全てが存在し、いつものようにクロエちゃんが喉を鳴らしておなかを撫でろと床を転げまわっていた。
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