My life as a cat
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2011年03月11日(金) 地震

言うまでもなく、日本列島は地震とそこから発生した二次被害、三次被害に動揺していて、わたしのような被害を被らなかった人間は固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。地震が発生した時はわたしはオフィスでいつもの午後を迎えていた。小さな地震などしょっちゅう体験しているというのに、何かのお告げのように、前日に限って同僚のブリティッシュ・ガイが、大きな揺れを感じたと訴えるので(実際はとても小さかった)、会社でヘルメットを支給してもらいなさい、とか、竹薮に逃げ込むといいらしい、とか、2005年に東京がM5の地震に見舞われた時は電車など止まってしまってホテルも満員で帰宅困難だった、などと地震を1度しか経験したことのない彼にあれこれと話していたのだ。それが翌日ものすごく揺れて机上のお茶が周りに飛び散り、ファイルが棚から落ちてくるので嫌な予感に包まれて、ぞっとした。揺れが収まってヘルメットをかぶり、靴を履き替え外に出た。小さな子供がいるお母さん達は泣きべそをかいて子供の安否を心配していた。わたしもクロエちゃんが心配で心の中で泣きべそをかいていた。後々、それは埋立地で地盤がゆるく、建物の建てつけもヤワなせいだと知ったが、M5の地震がM7に感じるくらいわたし達の職場は揺れが酷かったのだ。子供の安否を気遣うお母さんは同情を得るが、それが猫となると他人は目もくれない。他人にとっては「たかが猫」でもわたしにとっては唯一の家族なのだ。それにうちのコはメールのひとつも打てやしないんだから。。。。とぶつぶつ小言をつぶやきながら飛んで帰宅した。ドアを開けて拍子抜けした。物のひとつすら落っこちていない。朝家を出た時と同じ状態で全てが存在し、いつものようにクロエちゃんが喉を鳴らしておなかを撫でろと床を転げまわっていた。

同僚の半数は都内からこちらに通っていて、帰宅できず会社に泊まったということだ。歩いて帰宅できて、いつものように温かい夕飯を食べて、暖かいブランケットにくるまって眠れるわたしはどんなに幸運だろう。テレビでは町がまるごと津波にのまれ、避難する人々の背後には雪が舞ってるのが繰り返し映し出されていた。彼らの長い夜を思っていたたまれない気持ちになった。しかし2004年に東南アジアのそれも貧しい地域が津波に呑まれた災害は人々の津波に対する危機感を煽り、この国も多くを学んだに違いなかった。あの災害がなかったら今回の津波による被害者はもっと膨れ上がったに違いないと思う。

世界各国に散った友人達から安否を気遣うメールが届き、大丈夫だと返信しているそばから余震に見舞われている。報道されている内容も、日本国内ではグレイなところも、欧米などに行くとブラックになっているようだ。2004年の津波の際、スリランカのナショナルパークの野生動物達は何かを察知して高台に逃げ込み助かったというニュースを見たが、うちのクロエちゃんは余震に見舞われてもぐぅぐぅ寝ていて起きもしない。野生の勘は働かないらしいと分かったら、この先が余計心配になってきた。


Michelina |MAIL