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2007年12月15日(土) |
Breaking and Entering |
"Breaking and Entering"(邦題:こわれゆく世界の中で)というイギリス映画を観た。孤独の中で愛を探しながらも、すれ違いに傷付いて少しずつ心を閉ざして諦めて、それでもまた求めてもがく人々のお話だ。ボスニアからひとり息子と逃れてきた難民の母のアミラ(ジュリエット・ビノシュ)の英語のアクセントと少し哀しげな暗い目はあまりにも友人のデイヴィスのママに似ていて、ストーリーと重ね合わせてママの苦渋や悲しみの背景を見た気がした。
ママも"いつかヨーロッパに帰る"のだと遠い遠い未来に思いを馳せるように口にした。単語をやっとやっとつなぎ合わせて継ぎ接ぎだらけの英語でわたしとマーヴをもてなしてくれた。家族の中で唯一AUST育ちでオージーアクセントでSwear wordやスラングも連発してすらすらと喋り続ける弟が、
「僕はタタ(お父さん)のほうが好きなの。ママは厳しいから。」
と無邪気に口にした時は、彼を少し疎ましく感じた。無垢な兄弟とタタは"ママは若い頃もっともっと綺麗だった"とはしゃいでアルバムを見せてくれた。いつもテレビの下のラックにあって埃もかぶっていない。生活必需品以外の物が見当たらないこの家族の大事な財産のようなそのアルバムを丁重にめくると、華やかに着飾って満面の笑みを浮かべている若く美しいママが写っていた。どうしても馴染めない異国で、過去にしがみつきながらも慎ましやかな幸せに突然はしゃいだりするのもアミラと同じだった。
わたしはそこにばかり気がとられてしまったが、それにしても、世間で言われる"ラブストーリー"とか"不倫物"とかいうようには受け取れなかった。焦点はウィルが不倫したことよりも、その根底の感情やロンドンという場所の風俗にあるのではないのか。そして若くて愛らしく品の良いセクシーさをもったジュリエット・ビノシュもよかったけれど、女の脆さと人としての道徳を持ちながらも母の顔になった時の強靭さがそれをどこかへ押しやってしまう女の役どころも深みがでていて素敵だ。