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かかっていた産婦人科医は全くやる気が見られないリタイア寸前のような女医で、検査も説明もアドヴァイスもやる気なし。命を預かる者としてのその姿勢に不信感を募らせ、紹介状だけ書いてもらい、自分で調べた医者に会いに行った。
銀座まで行った甲斐はあった。あの女医とは全く違う熱血先生だ。「僕はね、ぜぇ〜んぶ調べないと気がすまないの。だから、なんでそこまで!ってよくクレームがくるの」などと話しながらさっさと色んな検査を済ませてしまう。人間の体は全部繋がっているのに一箇所だけ見て診断をくだす医者ほどいい加減なものはない。超音波のモニターを見ながらここが子宮でここが卵巣と説明してくれる。卵巣の周辺にまん丸い卵子が4つくらい見えて、その愛らしさに、卵を大切に温める鳥にでもなった気持ちがして妙にあたたかくなった。これが本題ではないのだが、「子宮も卵巣もキレイだからいつでも妊娠できるねっ!」と言われたのは意外で嬉しかった。子宮筋腫などは30歳以上の女性の4人に1人はあると言われているから何かあってもおかしくないと思っていたし、父はわたしが猫を溺愛するのを見て「動物を溺愛する女は子供が出来ないってよくゆうんだ」と言うし、付き合った男の人からも何回か「子供が出来ない体なんじゃないの?」と薄い根拠でそう言われたことがあったから。ダイオキシンを極力溜めない菜食生活の成果だろうか。しかし、産婦人科というのは不思議なところだ。病気を宣告されて自分の命すら危ぶまれている人も、これからあたらな命を生み出す人もみんな長椅子に隣り合わせに並んで診察を待っている。
マーヴに卵のことを話すと「どんなんだった?」と聞くので「丸かった!」という他愛ない会話をして、モーニングアフターピルを飲まなければならなかった少しだけものかなしい朝を思い出した。