麻薬捜査官 April,24 2045 20:15 トッティの店 ヴァレンが、奥のテーブルに座っている男に向かって歩いていく。 身振り手振りを交えての短い会話が終わると、男が立ち上がった。 ブラッド並みの背丈の男は、スーツの胸の辺りを叩いてからカウンターに近づいてきた。 「紹介するわ…」 ヴァレンが男の前に手のひらを差し出すと、アンジェラとブラッドが体ごと振り返った。 「こちらは、デニス・タツミ・ヴォルフガングさん。ICPOの刑事さんよ」 「こちらが、ブラッド・エアハルト君と、妹のアンジェラ」 ヴァレンがそれぞれを互いに紹介すると、男はサングラスを取り、軽く会釈をした。 怪訝そうな顔をしているブラッドとは対照的に、アンジェラは、手を差し出し握手を求めた。 「ICPOって、銭形警部のいるインターポールって所?」 「ああ、銭形警部はテレビの世界の人間だが…、ICPOはそういう風にも呼ばれている」 男は、差し出された手を握り返し、手のひらにキスをした。 「素敵な妹さんだ。よろしく」 ごく自然な男の紳士的な仕草に、アンジェラは驚き紅潮した。 「よろしく、アンジェラ・クルツリンガーです」 男は微笑みながら手を離すと、次にブラッド向かって手を差し伸べた。 見た目はブラッドよりも一回りほど年の差があるだろうか、 余裕のある大人の男の立ち振る舞いに、ブラッドは苛立ちを隠せなかった。 「ブラッドです。よろしく…で、なんで刑事さんがここに?」 ブラッドは、男の右手を強く握ると、一層力を込めて語りかけた。 デニスは、握られた手をふわっと上空に持ち上げると、ブラッドの頭を通り過ぎ、 フォークダンスを踊るようなポーズでブラッドの右手ごと背後に回した。 思わず、倒れそうになったブラッドは尻餅をつきそうになり危うく椅子に腰掛けた。 「まあ、話せば長くなるから、細かいことは抜きにして、今夜は君たちのお祝いだろう?」 デニスは、ブラッドとつないだ手を離すと、ブラッドの右側の椅子に座った。 それを見て、ヴァレンもブラッドとアンジェラの間に座った。 事の経緯を昼間聞いていたトッティは、デニスが椅子に座ると、飲み物をカウンターに置いた。 「じゃあ、改めて乾杯しましょう」 トッティの掛け声で、再びジョッキが重なる音が店に響き渡る。 「なんでメデタイ席に刑事なんかがいるんだよ」 ブラッドは不満を呟き、左手に持ったジョッキを一気に飲み干した。 「ほら、ブラッド。機嫌を直しなさいよ。今、説明するから…」 ヴァレンが、ブラッドの頭を慰めるように撫でている。 ヴァレンは、昼間の出来事をブラッドとアンジェラに説明し始めた。 (約8時間前) 11:58 東塔 5階 5階のロビーから屋上までの階段を登る途中。 ヴァレンはデニスが胸から取り出し開いた手帳を覗き込むように見た。 「ICPO…麻薬捜査官?」 「ああ。エイジアからシルクロード経由で流れ込んできている薬物のルートを追っている」 「それって…この大学が疑わしいの?」 「ああ…おっと、ファンデンブルグ助教授。詳しい話は後だ…」 階段を昇りきると、先ほど指示を受けた男が一人、屋上の入り口に立っていた。 「ご苦労。ここから作戦Cに移る」 「Cですか?作戦Bではなく…」 「ああ、Cに変更になった。お前はそのままヘリに乗り、ポイント305に向かえ」 「了解」 デニスに命じられた男が、ヘリに向かって駆け出した。 二人の会話がその男に聞こえなくなるくらい距離が開くと、男がヴァレンの腰に手を回した。 「ヘリのプロペラが回り始めたら、屋上に出よう。ここでは階下に声が響く」 「ええ、いいわ」 やがて、プロペラの浮力で機体が宙に浮くと、二人は建造物から屋上に出た。 降り注ぐ光が眩しく、ヴァレンは思わず、目を細めた。 その瞬間、左右から男が二人、飛び掛ってきた。 デニスは左から飛び出した男の蹴りを左腕で難なくさばくと、足払いで倒した。 そして、倒れた男のみぞおちに拳をのめり込ませた。 「うう…」 男はうめき声と共に体を海老のように折り曲げ意識を失った。 続いて、右側からの男の蹴りも同様に受け止めると、足を抱えたまま、階段に体ごと放り投げた。 踊り場まで転げ落ちた男が同様に倒れたまま動かなくなった。 「ちょ…ちょっと、シルバーじゃない。」 目の前に倒れているのはトッティの部下のシルバーだった。 「ってことは…」 階下の踊り場を見ると倒れているのはトッティだった。 「この二人はアタシの友達よ?! なんて事をするの…」 「すまん、すまん…咄嗟のことで…」 デニスがスーツの埃を払いながら、シルバーを起こし、気付に背中へ膝を入れる。 すると咳き込みながらシルバーが意識を取り戻した。 ヴァレンが階下に急いで駆け降り、トッティの体を起こす。 「ちょっと、トッティ…大丈夫?」 「痛た…体は…リストバンドのお陰で大丈夫だけど、顔をぶつけちゃったわ」 モデルのようなトッティの美しい顔にアザが二つほどできていた。 ヴァレンがトッティの手をひっぱり、体を起こすと二人は屋上に再び向う。 「何者なの?あの男は…」 「うん、ICPOの刑事さんなんだって…」 「あらら…アタシったら、なんてことをしちゃったのかしら」 屋上にヴァレンとトッティがたどり着くと、シルバーが膝を投げ出して座っていた。 「すまなかった。ファンデンブルグ助教授の御友人達」 「いえいえ、こんなにあっさりとヤラレタのは初めてだわ」 トッティが苦笑いで、顔の腫れを抑えていると、デニスがポケットからスプレーを取り出し、 おもむろに、トッティの顔目掛けて噴きつけた。 「ちょいと乱暴だが、痛みはすぐに消えるだろう。腫れは残るかもしれないがな…」 同じように、シルバーの腹部にもスプレーを噴きかけた。 「ふ〜」 と、大きな息を吐き出してシルバーもようやく正気に戻った。 デニスは、左手の携帯端末を開くと、5階階段前に待機している男に指示を出した。 同様にエレベーター前の男にも解散の指示を伝えた。 そして、デニスは最後に、雇い主のチェン教授に連絡を入れる。 「作戦B、完了。これで私の任務は終了。御機嫌よう。チェン教授」 デニスは各方面に連絡を入れたあと、胸のバッジを外すと、足元に落とし踏みつけた。 「これで、晴れて私はフリーになったわけだ」 足元の発信機のようなバッジは粉々に砕けていた。 「さっきは作戦Cに変更…とか言ってたじゃない」 「あはは、作戦Bは君を誘拐して、試合に出られないようにすることなんだよ」 「あら、それなら、私をヘリに乗せなくて良かったの?」 「ああ、チェン教授の部下として組織に潜り込んで今日で3ヶ月、本来の目的にたどり着いたからな」 「さっきの麻薬の話?」 「そうだ。先ほどの試合で、薬物の入った瓶を君も見ただろう」 ヴァレンは、眼鏡の男が飲んだドリンクの作用を思い出していた。 本来の人間の視覚能力が、ありえない形で露呈し、その効用を目の当たりにした。 「…ええ。」 「それを君が証言してくれれば、取引は完了だ」 「…それって、あなたがチェン教授を裏切ることになるんじゃないの?」 「まあ、そうともいうが…潜入捜査に裏切りもあるまいって…」 「二重スパイってわけね…なんだか、映画みたいだわ」 20:30 トッティの店 「…とまあ、そんなわけなのよ」 「すげえ〜」 ヴァレンの話が終わると、ブラッドは映画に感動した少年のように興奮していた。 「まったく、すぐ影響されるんだから、ブラッドは…」 アンジェラが呆れたように笑う。 「でもさ〜俺もそのドリンク飲んで、ヴァレンティーネ様にキスマークが本当についていたのか、 こっそり確かめようと思ってたんだよな〜」 そう云うと、ブラッドはズボンのポケットから、くすねた瓶を取り出しカウンターの上に置いた。 |