プラチナブルー ///目次前話続話

鎖骨と水滴と
April,24 2045

11:58 東塔 屋上

東塔北側にあるファンデンブルグ研究室から屋上へは、建物中央にあるエレベーターを使うよりも、
非常口の扉を開け、外壁に螺旋状にデザインされている階段を使うほうが早い。

トッティは、シルバーとの連絡をオンラインにしたまま、非常口から北側階段を昇っていた。
西側から吹きつける偏西風が、この季節にしては強く吹いている。
ステンレスとガラスで組み上げられている階段は、頭上を見上げると青い空に雲が流れているのが見える。

トッティが屋上まで登り360度の視界を見渡すと、大学の北側と東側との塀際に緑色の樹木が一列に並んでいる。
その向こう側には4車線の道路に車がまばらに往来しているのが見える。
南側と西側は、その端が見えず、この大学が広大な敷地に存在しているということがよく分かる。

試合会場のある中央塔と、その向こう側にある西塔の高さはほぼ同じで、それぞれの塔の屋上南側には、
赤十字のロゴの入ったヘリが一機ずつ停まっていた。

西塔は、普段、アンジェラやブラッドがローゼンバーグ教授の授業を受けている医学部塔だと聞いていた。
医学部塔の屋上には白衣を着た人の姿が数えるほど見えるが、中央塔とこの東塔の屋上に人影はない。

トッティは一度後ろを振り返り、尾行の有無を確認してから屋上中央に歩き始めた。
視線の先にある東塔南側には黒塗りのヘリが停まっている。
左耳につけているワイヤレスマイクでシルバーの名を呼ぶと、すぐに応答が返ってきた。

「ボス、中央階段を囲む建て物の西側にいます」

トッティが西寄りに進路を取ると、コンクリート造りの構造物の壁際にシルバーの後姿が見えてきた。
シルバーの報告では、今トッティが昇ってきた北側階段から到着し待機を続けているものの、
ヘリのプロペラが止まってから動きが全くないということだった。

「そう・・・。一体どこで道草しているのかしら・・・」

トッティが左腕の携帯端末機を開くと、5階エレベーター前、5階中央階段前、
そして、このコンクリートの構造物の南側に、1人ずつの存在を示す赤い光が点灯している。
ヴァレンの位置を示す青い光は、もうひとつの赤い光と共に中央階段を南方向へ移動している。

トッティが、背後のコンクリートの壁を肩越しに右手の親指で示した。
シルバーは黙ったまま頷いた。

まもなく、背後のコンクリートの構築物の南側で、青い光が1つ、赤い光が2つ合流した。
ものの数秒も経たないうちに、赤い光が1点、建物南側に向けて移動を始めた。

黒服の男が一人、ヘリに向かって駆け出したのが、トッティとシルバーの視界に入る。
ヘリまでの距離は、目測でおよそ250m.

「敵が一人なら・・・殺れますね・・・」
「ヴァレンの安全確保が第一よ」
「勿論、心得ております」
「あの男の距離がもう少し離れたら指示を出すわ」
「はい」
「シルバー、貴方はこの構造物の東側に廻って頂戴」
「了解!」

30秒程で、黒服の男がヘリに乗り込むと、ゆっくりとプロペラが回転を始めた。
トッティは足音が聞こえなくなる位、機械音とプロペラの羽音が大きくなるのをじっと待っていた。

再び見上げた空は、西側から流れてきた雲が太陽の姿を遮り、光と陰の2つの世界をひとつにした。

「これで忍び寄っても、南側に影は伸びないわね・・・」

額から落ちてくる水滴がトッティの鎖骨に泉を作った。


12:00 ファンデンブルグ研究室

ブラッドがジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた財布から、カード式の学生証を取り出すと、
研究室入り口のカードリーダーに通した。

認証が終了し、自動で開いたドアから中に入ると、研究室の中はひっそりとしていた。

「ヴァレンティーネ様とトッティは、お出かけ中か…」

ブラッドは、まず自分の部屋に入ると顔を洗い、手に取ったタオルを首に引っ掛けると冷蔵庫を開いた。
冷えた飲み物を両手にひとつずつ持つと、体ごと冷蔵庫の扉を閉めた。

隣のアンジェラの部屋をノックしたが、中から応答はない。

(眠っているのかな…)

部屋の奥に進むと、予想通りアンジェラはベッドで眠っていた。
ブラッドが窓際に回りこみ、ブラインドを静かに下ろそうとすると、屋上から飛び立ったばかりのヘリコプターの後姿が見えた。

防音対策がしっかりと施されているのか、先ほど感じた喧騒さは全くなかった。
黒塗りのヘリの姿が小さくなるのを見届けて、ブラッドはブラインドの角度を変え、明るさを半減させた。

体を翻し、ベッドの入り口側に移動しようとした時、床に這うコードに足が引っかかった。

「うわっ」

突如バランスを崩したブラッドは、前のめりになり床の上にうつ伏せに倒れた。

「痛た…」

ベッドの下方の手すりを持ち、体を起こすと同時に、落ちていたタオルを拾って顔を上げた。
不意に、ベッドの上でこちらを見つめているアンジェラと目が合った。

「すまん、起こしちまったな…」

アンジェラは瞬きするわけでもなく、こちらを見つめている。
ベッドの横までくると、サイドテーブルに置いた飲み物を手に取り、アンジェラに差し出した。

「飲むか?」

アンジェラが、布団の脇から左手を出し、冷えたアルミ缶を受け取った。
手渡した後で、その体勢では飲めないことに気づいたブラッドは、上半身を起こそうとするアンジェラの背中を支えた。
Tシャツ越しに伝わる体温は、午前中に抱きかかえ運んだ時よりも、幾分下がっているように思えた。

「どうだ?具合は…」

アンジェラが左手に持っている缶を、ブラッドが片手で添えるようにして、もう一方の手でプルトップを開いた。

「アタシを運んでくれて、ありがとう…」

小さな声でアンジェラがお礼を伝えると、その口に缶を運んだ。
アンジェラの喉越しを通過した液体が、2.3度彼女の喉を膨らませた。

寝ている間に汗をかいたのか、アンジェラの鎖骨のあたりに水滴が光っていた。
アンジェラは、ブラッドの首にかかっていたタオルを手に取ると、自分の首に巻き端を顔に当てた。

「ブラッドの匂いがする…」

ブラッドは、静かに左手を伸ばしアンジェラの頭を撫でた。
アンジェラが半日ぶりにいつもの笑顔で応えると、張り詰めていた空気を一瞬で入れ替えたような風が、ブラッドの全身を包んだ。

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