右手から零れた牌 April,24 2045 11:15 ファンデンブルグ研究室 ブラッドが部屋を出てから数分後。 アンジェラが横たわっているベッドの脇では、トッティがアンジェラの額を冷やしていた。 アンジェラの朦朧とした意識は、肌に伝わる冷たさに反応して目覚めた。 「・・・トッティ?」 「あら、アンジェラ、意識が戻ったのね。良かったわ」 トッティが安堵の笑みを浮かべ、アンジェラに微笑みかけた。 「ここは?」 東広場のベンチに居たはずの自分が、ベッドの上に寝ていることが理解できないのか、 アンジェラが緑色の瞳を動かして部屋を見回している。 「あ、研究室?」 「そうよ・・・」 「トッティが、私を運んでくれたの?」 「ううん、ヴァレンがブラッドを呼んで・・・彼が貴方をこの部屋まで運んだわ」 「・・・そう」 アンジェラはトッティの言葉に静かに反応すると、東側の窓の外を見つめた。 「トッティ・・・今、何時?」 「ええ〜と、11時15分ね」 「ええ? 2回戦が・・・。行かなきゃ・・・」 アンジェラは、上半身を起こしたところで、貧血を起こしたように頭に揺れを感じ、動けずにいた。 「安心して寝てなさい・・・試合には、ブラッドとヴァレンが行っているから」 「・・・」 トッティがアンジェラの背中に右腕を回し、寝床につくように体を支えた。 再び横たわったアンジェラは苦しそうに目を開いた。 「アナタ、目の下にクマが出来ているわ・・・昨日は寝てないの?」 「・・・うん」 「試合前日で気持ちが昂ぶっていたのはわかるけど・・・無理しちゃ駄目よ」 「・・・うん」 「飲み物は?」 「ううん、いい」 「そう」 アンジェラは、張り詰めていた気持ちが解れてきたのか、天井を向いたまま しばらく一点を凝視していた。 トッティがアンジェラの横顔を見ていると、やがて、彼女が瞬きをするたびに頬に涙が零れていた。 「綺麗な涙ね・・・」 トッティが呟くと、アンジェラは意識的に数回瞬きを繰り返し、雫を瞳から弾き飛ばそうとした。 11:15 ローゼンバーグ総合大学 試合会場 2回戦 東1局一本場 東家 ヴァレン 26,000点 「ツモ・・・4,100オール」 東1局が2軒リーチ、3人聴牌で流局した後、一本場の親でヴァレンがマンガンをツモ。 リーチ後、2順目にツモった4ピンを右側に置くと、ヴァレンの透き通るような声が会場に響きわたる。 東1局一本場 ヴァレンのアガリ形 西家に座ったブラッドは、対面の親のヴァレンと向き合うように座っている。 上家には眼鏡の男、下家には狐目の男が1回戦に引き続き勝負に挑んでいた。 『やられた』という表情を浮かべた上家の男は、眼鏡のレンズを布で拭くと すぐに、集中するように配牌を手元に手繰り寄せる。 東1局の二本場では、2順目早々、上家の男が9ソウをポンと仕掛けてきた。 7順目、一向聴になったブラッドが、一瞬迷って捨てた初牌の『東』をヴァレンが右端の2枚を同時に倒す。 次順、眼鏡の男がノータイムで3ピンを河に切り出すと、ヴァレンが静かに残りの10枚の牌を倒した。 「ロン…2,900点の二本場で、3,500点」 男の眉が微かに歪み、眼鏡越しの眼光はヴァレンの倒された手牌をじっと見つめていた。 (よし!) ブラッドは声には出さず、胸の内でガッツポーズをした。 東1局三本場 東家 ヴァレン 45,800点 南家 眼鏡の男 14,400点 西家 ブラッド 19,900点 北家 狐目の男 19,900点 三本場の配牌を全員が取り出すと、ヴァレンが一呼吸おいて牌を切り出した。 ドラは3ソウ、ブラッドの手は相変わらず冷えたまま、上がれる気配すらない。 上家の男は、ヴァレンの手元と河を睨みつけるように見ている。 下家の男は、手が入っていないのか覇気の無いツモ切りが続いていた。 『チー』 『ポン』 『カン』 上家の男が発する独特のイントネーションが、卓上の主役に躍り出た。 眼鏡の男の仕掛けで、ブラッドの左側には、 と並び、男の手牌は4枚になった。 (そんなミエミエの染め手に誰が振るもんか・・・) ブラッドは、眼鏡の男が河に捨てられているソーズの牌を目で追う視線の先を見つめた。 (ん?6ソウをカンして6-9ソウ待ちなのか?…それだと、4枚目の6ソウでツモあがりしてるはず・・・) ブラッドは、トイツの面子選択を9ソウと4ピンのどちらにしようかと考え、安全策で4ピンを1枚外した。 下家の男が2ピンをツモ切ると、ヴァレンがブラッドの目の前にあるツモ山に手を伸ばした。 その瞬間、ブラッドの座る位置の後方にあるドアが大きな音を立てて開いた。 ヴァレンの視線が、ブラッドの右耳の上あたりを通過し奥に注がれている。 (ヴァレンティーネ様の上目遣い・・・最高だ!) ブラッドが不埒なことを考えていると、後方からカツカツとヒールの踵の音が急接近してくる。 モデルのステップのようなリズミカルな足音ではなく、突進してくるような不協な音だった。 足音が、ブラッドの左側で止まった瞬間に、眼鏡の男が唖然として顔を上げた気配が分かった。 「一体、この展開はどういうことよ!」 ブラッドが、びくっとし、意に反して思わず振り返ってしまったほどの大きな声。 左側を振り向くと、チェン教授が仁王立ちして眼鏡の男を睨みつけていた。 『カツーン』と、牌が卓上に落ちた音が、ブラッドの右耳に同時に届く。 90度右に振り向くと、ヴァレンの伸ばした右腕が卓の中央に、その真下に9ソウが跳ね、倒れた。 「あっ…」 と、ブラッドとヴァレンが同時に声を出した。 眼鏡の男は、眉間の辺りで右手中指の内側で眼鏡をせり上げると、4枚の手牌を倒した。 「ロン…8,000点は三本場で、8,900点」 ヴァレンは、倒された4枚の手牌をチラっと見ると、頭を小さく左右に2度ずつ振った。 |