リトルヴァレンと弟子 April,23 2045 12:30 日曜日のファンデンブルグ教会 ゲーテ、バッハ、メンデルスゾーンなど偉人とかかわりの深いプロイセン東部の古都、ライプツィヒ。 その都の西側に中世文化の名残を漂わせた教会がひっそりとそびえるように建っている。 100年前の大戦で、多くの由緒ある教会が跡形も無く壊されたが、それぞれの地で、有志による再興が進んでいた。 荘厳なゴシック様式の装飾に彩られた教会の中庭では、パイプオルガンの音色が緑色の風景を優しく包んでいた。 中庭の芝生の上では、日曜日恒例の、トッティによる昼食会が催されている。 人々の中には、大学で教鞭を振るう傍ら、休日は教会で司祭として過ごすローゼンバーグの姿もある。 いつもと同じように、トッティの指示でテキパキと動いている教会出身のスタッフ達の笑い声が聞こえる。 そんな笑い声の中にアンジェラの姿も溶け込んでいた。 「こっちにボールを投げてよ〜」 「今行くよ〜」 トッティやヴァレンを取り囲む子供たちの歓喜の声が、聴こえてきた。 その声を、食後、木陰に腰を下ろしたブラッドが遠目に見つめている。 「ふ〜、食った食った・・・トッティの作る美味い飯を日曜日ごとに食べられるなんて、子供たちも幸せだな」 体の3倍もあろうかという太い木の幹にもたれ掛って、ブラッドは青い空が正面に見えるくらい寛いでいた。 ふと、横に目をやると、7歳位の女の子が隣の木の下で、ブラッドと同じような格好をして空を眺めている。 「あの雲、キリンに似ているな。首が長いや・・・」 ブラッドは、小さな女の子に聴こえるように大きな声で、空を指差した。 「・・・空に、キリンがいるわけないじゃない」 予想に反した・・・いや、予想もしなかった女の子のリアクションに、ブラッドは指をかざしたまま固まった。 「アンタ・・・アタシのこと可哀相な子供だと思ったんでしょ」 「・・・トッティやヴァレンと出会う前なら・・・きっと、そう思っただろうな〜」 「ふ〜ん、否定しないんだ・・・珍しく正直な大人なのね・・・」 「あはは。オレ、体はでっかいけどまだ子供の仲間だぜ・・・」 ブラッドが体を反転させて、右腕で頬杖をつき、体を横にしたまま少女に微笑みかけると、 少女は様子を伺うようにブラッドを観察してから、グルグルと芝生の上を2回転して近づいてきた。 「ねえ、アンタ・・・約束は守れるタイプ?」 「ん? そうだな・・・約束を破ると・・・後で痛い目に合うだろ? だから、約束を破れないタイプかな・・・」 「あはは、面白いわね、アンタ」 そう云うと、少女はさらに2回転して、遂には、ブラッドのすぐ横に転がってきた。 「オレ、ブラッドっていうんだ。君は?」 「アタシは、リトルバレンティーネ」 「へ〜、いい名前だ」 「うふふ、ありがとう」 「君は、大人が嫌いなのかい?」 「当たり前でしょ。アタシを捨てた大人なんて大嫌い!」 突然、体を起こして、リトルヴァレンティーネと名乗った女の子が大きな身振りで主張した。 その様子に驚きながらも、ブラッドは元のままのポーズで、優しく語りかけた。 「ん〜、そりゃ憎みたくもなるよな、でもいい大人もいるぜ?」 「そうね、アタシ、ヴァレンお姉ちゃんが大好きだから、リトルヴァレンティーネを名乗っているの」 「ほほう、君のセンスは抜群だ。彼女は最高だもんな」 「あら、アナタ、いい趣味しているわね」 女の子は、ブラッドに褒められたのがよほど嬉しかったのか、一転して、雄弁にブラッドに話しかけてくる。 「ひょっとして、ブラッドって、ヴァレンお姉ちゃんの彼氏?」 「ううん、違う・・・」 ブラッドは、さも残念そうに大きく首を振った。 「あら、そうなの、さっきからチラチラ、お姉ちゃんを見てたから・・・あ、ひょっとして片思いってやつ?」 「ああ」 「可哀相・・・アタシなんてこの歳で両想いの男の子がいるっていうのに・・・」 「凄いな〜リトルヴァレンは・・・恋の師匠って呼んでいい?」 「ふふん、いいわ、ブラッド。弟子にしてあげる」 少女は、ますます得意気な陽気さを醸し出している。 「でも、ブラッドは・・・ヴァレンお姉ちゃんのこと好きなんでしょう」 「ん? ああ 大好きだ」 「珍しく素直な反応ね」 「なんだ そりゃ」 「大人って いつも 嘘をつくの」 「大人か・・・ 微妙な年齢だよ・・・彼女の4つも年下だし・・・」 「無理して大人ぶらなくていいじゃない、ヴァレンは子供が大好きなのよ。ブラッドも子供のままでいたらいいわ」 遠目に見えるヴァレンは、子供たちに囲まれて無邪気に笑っている。 「本当だ。リトルヴァレン師匠・・・あんな風に笑うヴァレンティーネ様は初めて見るよ・・・」 「ふ〜ん よっぽどお姉ちゃんの前でツマンナイ男を演じているのね」 「おいおい・・・いや、師匠、それは笑えない冗談ですよ・・・」 「しょうがないわね、ブラッドは・・・アタシが特別に恋の魔法を教えてあげるわ」 「お願いします」 そういうと、ブラッドは上半身を起こして、真面目に師匠に向き合った。 「いい?男は嘘を優しさと履き違えちゃダメよ・・・悪ぶっていても正直でいるのと、真面目そうにしていてコソコソするのは全然違うでしょ?」 「・・・は、はい・・・」 「ちょっとくらい、悪っぽく見えてもいいのよ、そのほうが男は魅力的よ。アナタには悪魔的センスがないわ・・・」 「・・・なるほど、師匠・・・凄いですね」 「うふふ、アナタを見てればわかるわ。さあ、頑張って頂戴。あ、御礼はアナタのその胸にかけているペンダントでいいわ」 「え・・・マジ?」 ブラッドは、胸に掛けていたプラチナコインを指で掴み掌に乗せた。 「これ、トッティから貰った大切なモノなんだ・・・しかもヴァレンティーネ様のピアスとお揃いで・・・」 「・・・それは、難しい決断が必要ね」 「う、うん・・・でも、師匠なら、大切にしてくれそうだ」 そういうと、ブラッドは首からチェーンを外し、リトルヴァレンの髪に引っかからないように丁寧に掛けた。 「あら?本当にいいの?」 「ああ、約束は守らなきゃな・・・」 「ブラッド、貴方素敵だわ・・・ヴァレンお姉ちゃんに振られたら、アタシが付き合ってあげる」 「あはは、光栄です。師匠」 リトルヴァレンは突然立ち上がると、ブラッドを見おろして諭すように言った。 「祈るだけじゃ駄目よ、ブラッド!行動しなきゃ!」 子供の純真さは 時として刃物のように鋭い。 7歳の小さな子供の言葉が頭の中で山彦のように反響した。 そう言い残すと、リトルヴァレンはトッティとヴァレンのいる人の輪の中に姿を消した。 頭の後ろで腕組みをして、再び空を見上げたブラッドは、いつしか目を閉じてウトウトとしている。 ゆっくりと流れる時間の中で、そよそよと偏西風に乗ったヴァレンの香りが、ブラッドの鼻先をくすぐっていた。 |