−美翔's Diary−


2007年06月08日(金)
06/06・07の事。

6日は…夕方から、美翔と同市内に住む従姉妹(オカンの兄の娘)夫婦に迎えに来て貰って、斎場へ。
喪主の伯母、3人の従姉妹達に声を掛けに行って…。
美翔自身、父親を喪ったって経験をしてるから、辛い気持ちが少なからず解るから…気丈に振舞ってる姿が凄く切なかった。
3姉妹の末っ子とは1歳違いっちゅ事もあって、子どもの頃はよく泊まりに行ったりして遊んでたんよね…。
亡くなったおっちゃんも、偶にゴハン作ってくれたりして。
昔、暫く逢ってなかった時期に偶然再会した、なんて事もあったなぁ。
美翔が働いてた店に偶々呑みに来たんよね。美翔、年齢誤魔化して働いてた(コラ)から…あの時は流石に気まずかったぁ。
…しっかり伯母に告げ口されて、オカンの耳にも入ってたしね。まぁ、知ってたけど(笑)

6日の日記にも書いたけど、10年ほど前(正確には9年前)に脳内出血で倒れて以降、後遺症を克服する為に毎日頑張ってた時も、6年ほど前に脳梗塞を患って同じような後遺症が残ったオカンを一生懸命励ましてくれたりしてて。自分の事だけでも大変やったろうにね…。

痛風や糖尿病も抱えてて、家族もみんな…3姉妹が独立したり結婚してからは伯母が、おっちゃんの身体には特に気を配りながら生活してたのに、まさか、急性白血病なんてものに侵されるなんて…。
6日の明け方、息を引き取る20日ほど前にその病気が発覚して…その時には既に感染症を起こしてたらしい。
脳内出血の時の後遺症は徐々に快復に向かってて、去年は待望の初孫が誕生したばっかりで…伯母夫婦にとってこれからが楽しい人生になるはずやったのに。やっぱり、神様なんてホンマに居らんわ。

お通夜が終わってからは…オカンの兄の奥さん、娘夫婦と息子夫婦とその子どもと食事に行ってー。
"少しは太らなアカン"と色々食べさせられて、オナカが大変でした(何)

帰宅後は…早起きせなアカンから眠剤飲めんくて眠れず…次の日は寝不足ι
7日朝、前日と同じく従姉妹夫婦に迎えに来て貰って再び斎場へ。
あっちの親族に"○○ちゃん(←オカンの名前)の娘さんやね? いやぁ、綺麗にならはってー"って、声を掛けられる度に挨拶して…たのは良いけど、美翔自身覚えてひん人ばっかやったι
3姉妹の末っ子と美翔が似てるらしくて、すぐ解るらしい(笑)

そうこうしてる内に葬儀の時間になって…お坊さんがお経を唱え出したら益々哀しみが込み上げてきて、泣いてばっかやったなぁ。
お通夜の時もやったし父や弟の時もルナの時もやったけど、"火葬されてしまうまでの間に目を覚まして"って、ずっと心の中で願ってたさ…。
最後のお別れで棺の中にお花を添える時は…父と弟の時の事を思い出して、まともに顔を見れんかった。
気丈に振舞ってた伯母も3人の従姉妹達も泣き崩れてて…それを見るのも本当に辛かった。
家族みんな、凄い仲が良かったからね…。
夫婦で○っちゃん、○ぁこって呼び合ってたり、従姉妹達も父親の事を○っちゃんって呼んでたくらいに。

火葬の間は料理を食べて、それから美翔とオカンの兄の娘夫婦と2番目の姉の娘夫婦と5人でファミレスに行って時間を潰して…。
それぞれの旦那さんとゆっくり話したのって、これが初めてやったなぁ。
こんな事がないと、みんなが揃うって事は滅多にないし…。
んだけど、こんな辛い思いするのはもう厭やね…ちゅても、これから益々機会が増えるんやろうけど…。

兎も角、この10年くらいの間、色々苦労してきた伯母にはゆっくり身体を休めて欲しいな…。
子宮癌や原因不明で片目を失明してしまうって病気を抱えながらも、ずっとおっちゃんを支えて来たんやもん。
これからは愛犬と一緒に伯母の好きな事をして、自分の人生を楽しんで生きてって欲しいさ。