みんなで しあわせになろうね ^^ 2006年11月13日に『いのちの電話』のHPを紹介しています
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2007年04月19日(木) |
他人や下界に愛情が注げません 5 |
【夏海】 2007/05/05 13:32
と、ちょこっと横レスですが、 > 自分で治せそうな部分は自分で解決しますが、 > 「自分の事が自分でまとめられない」ので「ブレイン」として医者を使うのかもしれません。 > > R26の歴史を踏まえた個人を理解するものの意見として、友人から分析してもらい > 医学的見地から診断した「私」を理解するものとして、医者から意見を聞いてみたいと思います。 これ、凄く冷静で、頭が良いと思います。 学校のお勉強ができるとか できないとかのレベルではない、 『生きる力』としての 頭の良さがある。 学校の勉強なんて、所詮学校を卒業したら卒業だけど、 『生きる力』(EQだったかな?)が高い人は、人生において生き抜ける知恵が備わっているってことだから。 で、 自分がわからないこと、できないことを、人の頭を使って解決することは、アリだと思います。 そういう使い方をするのが、精神科の正しい使い方だって気がします。 治してもらうのではなく、自分が治す、自分が解決する、その手助けを専門家にして貰う。 その為にお薬を飲むことは、悪ではない。 自分で考えて、医師と話し合って、納得した末で飲むお薬を決める、減らす、止める。 インフルエンザになって、お医者さんに行く人と、家で寝て治す人がいるように、 メンタル系のお医者さんでも同じだと思います。
【相談者】投稿日:2007/05/07 14:19
夏海さんへ。
感動しちゃって、言いたいことがいっぱいあります。 今、ちょい忙しいので、夜の時間が空いたときにレスします。
ちょっと待っててください。
【夏海】投稿日:2007/05/10 20:14 ID:u31CAeHO
お返事ありがとう ^^ 楽しみにしています。 急がなくても結構ですので、どうか自分のことを優先してくださいね。 さて、考察です。 今までの書き込みで、私なりに考えて、私なりの説明ができることを書き込みます。 私の体験からの話です。 > 人に好かれたい、反面嫌われたい。 私の経験では、嫌われるのが怖くて、「嫌い」と言われる前にサヨナラする。 もしくは、相手が嫌がることをして、相手に「サヨナラ」と言わせる。 心理としては、 根本にあるのが 「自分は人に好かれる価値のない人間である」 「どうして『こんな私』と一緒にいてるれるのか その心理が解からない」 だから、いつか嫌われるだろう、いつか飽きられるだろう、いつか怒らせるだろう、いつか私の本当の正体を知って、 そして去って行くだろう。 だから、その前に、自分から嫌われることをして、(こんな不安定な状態から)楽になりたい。 もしくは、『これだけ言っても(やっても)去っていかないこと』を確かめたい。(希望的観測) 本心は、嫌われたくない。 去っていって欲しくない。 でも、「ああ、やっぱりね」って、去って行く人に対して自分を納得させる理由を(ワザと)作って安心したい。(自虐的よね f^^;) 両方とも、『自分を守る為』に行っていることだから、本当の本心は、 『愛して欲しい』 こんな私でも。 でも、自分を信用できないから、自分に寄って来る人も信用できない。 悲しいかな、信用できないのは、自分自身なんですよね。他人ではなく。 それと、美容室での突然の涙の訳。 もう死のうと思っている、その気持ちが強かったのであれば、 私なら 頭の中に『ホタルのひかり』が流れているな。 私が ああ、もうダメだ。彼と別れようと思った時、 私が もうこれ以上ここにいると 死ぬしかないって 家を出ようと決意した時、 死ぬしか選択肢が私の中には残っていないと思った時、 私の頭の中には、 『ホタルのひかり』が流れていました。 美容室で、 今、ここにいるけど、(死んだら)もう来れないのね。 そう思ったら、涙が出るのって、普通の感覚だと思います。 だって、もう二度と来れないんだから。 今、この時が終わったら、今生の別れなのだから。 私がこの世にいない世界を想像した時、 物凄く 物凄く 悲しくなりました。 私が死んでも、高速道路は渋滞していて、学校では子供が騒いでいて、空には飛行機雲があって、 桜は咲いて散って、雨が降って止んで、夏が来て... 私が死んだところで、世界は 何一つ変わらない。 私が死んだところで、朝日は昇るし、日が沈んだら 月が出て星がまたたく。 それを思うと、物凄く 物凄く 悲しくなりました。 人は沢山いるのに 世界中に一人ぼっちの感覚。 人がいればいる程寂しさは増すのよね。 R26さんが私と同じ気持ちであれば、 突然涙が出て、関係ない人の前で号泣しちゃっても、 それは普通の感覚だと思います。 って言うか、正常な反応だと思いますよ。泣いちゃうって。
見当外れかも知れないけれど、こんなことを考えてみました ^^ 私の経験談です。
注:私が注目した文を緑色の文字にしました。 後日、この太字について話をする予定です。
【相談者】投稿日:2007/05/11 16:24
夏海さんへ> 本日、朝から欝気味です。なのでやや「後ろ向き思考」が強いです。
日本語しゃべってるのに、どうして通じないの?>
そうです。なんか価値観というか、他人である以上考え方が合わないのは当然なのですが、 時折私が「普通、死にたくなるよね」といった話題を振ると、たいていの人が「いやそうは思わない」というんですよ。 だから愚痴も言えないんだと最近知りました。前は、迷惑をかけるとわかっててもそのまま話していました。 なんでそこで「うんそうだよね、死にたくなるよね」って言わないんだろうって。 「仕事きつくてさー」だと「うん私もきついー」 「映画面白いよね」だと「そうよね」 ってなるのに「死にたいよね」というとなぜ大半が「いやそうは思わない」と拒否するのか分からない。
ずーっと生活レベルで我慢したり演技したりしてた>
それです。特に仕事の時。ずっと演技しなきゃならないので、遅刻、早退、居眠り、仕事ミス、仕事を覚えようとしない、人間関係がおかしくなる、人の嫌がることを無意識に何度もやってしまう 事を繰り返してクビになっているのかも。
といっても、今やりたいことなんて何もないので、 もう死んでもいいと思っています。
なんか知りませんが自殺行為のような危険行為を画策するんですよね。 電車代がないから、3000km離れた職場に原付で通勤しようとしたり(その間はトラックが普通に100km以上飛ばしたりする道路です)
周りは「事故に遭うよ」と諌めたりしますが、お金のツテがない限り、実行予定。3時間くらい飛ばせば、計算上ではつくはずです。 万が一事故に遭ったら、死ねるのでラッキーかなと思っているあたり、ほのかに自殺願望が出ていますね。 自殺してもいいと思っている日に旅行や移動の計画を立てるとたいてい無茶な内容になりがちです。 周りが他人だらけで誰も止めない状況なら、普通にやってると思います。
なんか、多分その死ぬか死なぬかのドキドキハラハラが生きている感じがするのかもしれません。
人を信じてないから>
そもそも人を信じるってどういう事なのか知りません。信じるっていう事だけならできますけど、具体的に何をやれば信じるという事なのでしょうか?
『にざかな』さん>
あ、知っています。先日夏海さんのコメントを見て、正式によんでみようとブックオフいってきました。 ネタが新井理恵(代表作「X-ペケ-」)に似てますね。でもにざかなさんってまだネタ的にソフトな方だったので、ダメージあまり受けませんでしたけど。
新井理恵を後輩に薦めたら「あれ読んだらトラウマになってしまった」という派を「面白い」と両極端に別れました。 どうやら負け組が読むとシャレにならないためトラウマになり、勝ち組が見ると「底辺の人間のことなんて知ったこっちゃねえや」という「対岸の火事」効果により、面白く見えるようです。
私は親に愛して貰えるように『良い子』『手のかからない子』であり続け>
私もそうかもしれません。 小さい頃、何度か「これがやりたい」と漫画系習い事の情報を持ってきたことがありました。 けれど、漫画なんて将来性のないものに裂くお金はないし、却下されました。
同じ頃、妹は英語塾へ行く為にお金を出してもらい、弟は野球で毎週応援の為に親はベッタリ。
妹は習いごと、弟は野球。私は親の時間もお金ももらえなかったし、まだ対人恐怖症という言葉も知らなかったので、親の手もかからず、お金もかからない、漫画を描いて、空想に浸って、一人で自分の時間をつぶす方法を見つけなければなりませんでした。
多分、その辺りの頃「親にもかまってもらえず、ほめられもせず、お金も裂いてもらえず、迎えの車も兄弟に取られ、私が姉である理由やメリットって何があるんだろう」そういう喪失感が 「私は何を望んでも、もらえない人間なんだ」 と感じる原型なのかもしれません。だから、唯一の希望であった漫画に「ライバルがいる」と感じた時「何をやっても私は望んだものが手に入らない」と思い勝ちなのかもしれません。
幼少期に成功体験があれば、大人になって失敗しても「次なら成功するさ」と前向きに考えられます。 けれど、幼児期から失敗体験しか刷り込まれていなかったら、更に事件に巻き込まれていたら、一体、何を根拠に「私は行動すれば成功する」なんて思えるというんでしょうか。
声を出さずに泣く>
あ。私もそのタイプです。なぜか身内に「声を出してわんわん泣いている」姿を見られるのがイヤでイヤで「見つかったら恥ずかしい。だから隠れて知らない所で泣く」と無意識にそうやっていました。 放課後のトイレとか、布団の中とか、家族全員が留守の時に泣いたりとか、トイレやお風呂とか。 いまだにそうです。 だから、先日の美容院でいきなり泣き出したのは「あれ?あれ?」って感じでした。
これは、精神的疾患ではなく>
そうだったのかあ。
子供の頃から 何を学んできたのか?>
私は子供の頃以下のことを学びました。 ・男は信用できない。 ・大人の手をかけさせる人間になってはいけない ・つらいことがあっても、誰にも相談してはいけない ・努力しても実ることはない ・人生がにっちもさっちもいかなくなったら、自殺すればいいから、今はとりあえず自分がどういう状態かよくわからんので、わかるまでは空想して遊んでいよう ・他人とは、私にかかわりたがらない人種である ・自分の苦痛が限界を超えたら、私はきっと誰にも相談せず、一人さびしく自殺して終わるだろう ・私は30歳くらいまでに自殺して人生が終わるという予想 ・早く死にたい ・私はバカである。 ・私は他人の気持ちがまったく分からない。なぜみんな死にたがらないのか、不思議。
ではどうしたら良いのか?> ・男性に対して「つきあうとメリットがある」と刷り込ませる状況にするには?
・一人暮らしする ・どうせつらい事を話しても嫌われるだけなので、引き続き黙っておく ・努力しない。無論生きる努力もしたくない ・30歳まで生きてみて、何も変わっていなかったら、自殺しよう ・どうせ他人は私を拒否するので、完全に一人でできることをやる。できなかったらどの道死ぬけど。 ・私はバカなので、ひとつの物事を最後までできない(派遣会社に登録しただけで仕事をしないまま放置したりとか、そんな中途半端ばかり)
また、最近は「これをしたい!」(〜に行きたい、会社に行かなければ、仕事したい、掃除しなきゃ等)と思えば思うほど、体が動きません。 全く不可解です。
自分が楽に息ができる>
それがまだよくわかりませんけど…いまだに毎日遊ぶこと以外、息苦しいです。 今度クビになったら、ホントに首つろうかな。もう何度やっても同じなら、挑戦するのも何かやるのも休むのも疲れた。休むのもイヤだし、動くのもイヤ。
エドワード・ゴーリー> 「かわいそうな子供」とか「うろんな客」の作者でしたっけ。妹に進められて読んでみたらあまりに救いのない話で「ここまでやるか」と思いましたが、「すべて恵まれている人」が現存するなら、「すべてに恵まれない人」もまた存在するでしょうから、とてもリアルだと思います。 いっそ、私もこのくらいの境地に生まれたら、まだ生きている感覚がしたかもしれません。痛いけど
心理としては、根本にあるのが>
すべてその通りです。だから、仲のいい友達は「これだけやっても去っていかなかった人」に限定されています。
信用できないのは、自分自身>
信用もできませんし、自分で自分が好きではありません。殺したいくらいキライです。死んでもいいと思っています。 でも、人に殺されるのはムダ死になのでやりたくないです。やるとしたら首吊りか、角膜や血管を全部病院に提供してから、「人体の不思議」展などで見た「全身100箇所輪切り」用の献体になれたら、すべてムダにならずにすむのになあと思って、 いっぺん「命の電話」に電話かけた時「どうすれば献体や血管、内臓などを提供できる身分になれるんですか」って聞いたのですが、病院も命の電話の担当も知らないんですよ。 学会に問い合わせればいいですか?
頭の中に『ホタルのひかり』が流れている>
私の場合、まず「ろくな服も着ずに夜中に家出」→「夜中にあちこち出歩いて、通り魔でもいないか賭けてみる(死にたい時に限って通り魔は出てこない。後、強姦魔も出てこない。というかこの時は私は死にたいんだから、強姦するなら殺してくれと言うと思う。むしろ男性恐怖症としては、死ぬより強姦されて半端に生き残るほうが怖い)」→「適当な神社の境内等で、今晩死ぬかどうか決める」→「一晩考える」ばかりですね。
その一晩に夏海さんのように「私がこの世にいない世界を想像した」をやります。
別に部屋を漁られて、昔の原稿とか、やばい本とか、死んだ後の死体が見つかっても別にいいのですが(どうせ私は死ぬし) 友達が泣くんだろうなあと考えたら、その悲しい気持ちは1%くらいしか理解できないけど 「私が死んだらどれだけの人が何時間泣くんだろう」とか「死ぬ瞬間はやっぱり苦しいんだろうな」とか「でもその苦しみが過ぎれば、もう何も感じなくてすむようになる」というたくさんの考えが出てきます。
それは普通の感覚>
よかった。変な行動なのかと思いました。。
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