極端なつぶやき
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Zさんに対して、自分を投影していたと気付く。 気づくと言うより、認めるといった方が正確か。
Zさんに対して、嫌だと思ったところは、全部自分自身に対して嫌だと思っているところだった。 かつ、その自己嫌悪、自責感と向き合わないようにしていたから、余計Zさんのことが嫌になっていたのだ。
Zさん、ここが嫌いというところを感じるままにあげていくと、 *すぐ興奮する。 *人の話を聞かない。 *人の話がまだ終わってないのにさえぎって、自分の話をする。 *人を裁く。(まるで、自分が裁判官のようにこの人はああだ、こうだと断定する) *男性の前と女性の前では態度が全然違う。相手によって、態度がコロコロ変わる。 *自分の話を聞いて欲しがる。 ↓ こういう時、興奮して、早口まくしたてる。 *人とすぐ競争する。誉められると天狗になる。 *権威のある人に認めて欲しがる。 *安心できる、包容力のある人に依存する。
今、あげていった点は全部、私が多かれ少なかれ持っている性質だった。 気が付いて、直そうとしているもの含む。 そして、そういう性質を持っている自分を恥じたり、責めたりしているのであった。 だから、Zさんの言動を真に受けすぎた。 Zさんのやること、なすこと、真正面から受け止めすぎた。 そんで、Zさんに対して、苛立ち、腹を立て、囚われた。
Zさんを許せなかったのは、自分を許せなかったから。 Zさんに腹が立ったのは、自分に腹が立ったから。 Zさんを責めたのは、自分を責めていたから。
Zさんの嫌な性質、欠点を、こんなにも真に受けていたのは、そこに自分を見ていたから。
すぐ興奮する自分を許して、受け入れよう。 認めて欲しがる自分を許して、受け入れよう。 相手によって、態度が変わる自分を許して、受け入れよう。 話を聞いて欲しいと、興奮し、早口になる自分を許して、受け入れよう。 人と競争してしまう自分、誉められると天狗になってしまう自分を許して、受け入れよう。 人を裁判官のように裁いてしまう、断定してしまう自分を許して、受け入れよう。
欠点だらけの自分。 愛されたい、認められたい、話を聞いて欲しい自分を許して、受け入れよう。
そして、それに気付いた自分をたくさん誉めよう。
そのことに気付いて、カウンセリングを受けている自分を誉めよう。
これで、少しZさんへの囚われから自由になれるかもしれない。
まだ、今はZさんのことを思い出して、怒りで頭に血が上ったり、Zさんが不幸になった物語を妄想したりしてしまう。 でも、気が付くと、すぐ 「過去はもうお終い」 「変えられることにだけエネルギーを使う」 「Zさんの人生はZさんのもの。彼女が決めればいい。私はZさんを変える力はない。」 などと自分に言い聞かせるようにしている。
まずは、自分のために祈る。 まず、自分のことを考える。自分の人生を十分に生きることを考える。 まず、自分を助ける。 自分がよくあるよう、自分を許して、肯定していけるよう祈る。
他人ではなく、まず、自分。 まず、自分一人分の人生を十分に生きる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ここまで書いてて思ったんだけど、「真に受けない」っていうのが、最近の私の課題だなって。
私は、真に受けやすい。 人と向き合おうとする。 人と自分が違った時、すぐ「どうして?」と聞いたり、自分の意見を主張しようとしたり。 それは、悪いことではないけど、疲れること。
人と自分が違うたびに、そんなことしてたら、人付き合いにエネルギーがいって仕方ない。
ある整体師が、左右の身体感覚が人付き合いにおいて大事ということを言っていた。 左右の身体感覚、つまり、真正面から向き合うのでなく、横に置いておく感覚、距離の取り方、関係の作り方。
それができると、いい意味で人は人、自分は自分って思えるから、人付き合いが楽になるって書いてあった。
今の私が見につけたいものだなー
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