極端なつぶやき
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ヨガを12月から習い始める。 面白い。 気持ちいい。
先生が自分を観察することが大事とよく言う。 クラスの最後に死体のポーズをするんだけど、 その時先生が言うには 「無にならなきゃ、他のことを考えちゃいけない」と頑張らなくていい、 湧いてくる気持ちや考えを無理に止めないで、観察する そして、自分はこんなこと考えてるんだなーと自覚する 気持ちにいい悪いはない ただ、観察する そして、その中に入らないようにしてみる すると、通り過ぎていく
これは、普段の生活にも使えるなと思った。
私は、怒りや過去へのこだわりを抑えよう、抑えようとしていたけど、まずはそれがあることを認める。
そう思って生活しだしてから、約2週間ほどたつんだけど、気付いたのは、私って本当昔起こった出来事のことを考えてるってこと。
道歩いてる時、電車乗ってる時、仕事中など、気が付くと、過去に起こった出来事で腹が立ったことを考えている。 そして、その相手が不幸になればいいと想像してみたり、あの時こう言ってやればよかったと思ってみたり。
まあ、知ってたけど。 今まではそういう自分が嫌で、その状態が辛くて、それを変えよう、変えようと焦っていた。 または、怒りの感情が抑えられなくなって、物に当たったり。 最近は、「もう過去は終わったよ」とアファメーションを唱えるようにしてたけど。
でも、まず自分を観察する、そしてどんな自分でもいい、その自分をまず認める。 という考え方をヨガで知って、また少し自分が変わってきたように思う。
なんか、そんなに過去にこだわっちゃう自分を責めないでいいじゃんって。 小さいころから怒りを抑えて抑えて生きてくるしかなかったもんね。 父母が余裕のない人だったから、聴いてくれる人が誰も居なくて、暴れるか、いい子になるかしかなかったよね。 だから、今でもいい子やりすぎちゃって疲れて、人と距離おきたくなったり、真っ闇の誰も信じないという世界に入ったりするんだよね。 そして、過去の嫌な出来事にこだわるのは、一生懸命分析して、それをなんとか理解したい、上手く自分の中で処理したいっていう動機もあるんだよね。
真っ暗闇の世界に入りやすい私の、人とつながろうとする、ひとつの努力かもしれない。
私の中の、私をつくる大事な大事な孤独かもしれない。
でも、もう少し人と上手くコミュニケーションできた方が楽だなー 特に、人と意見が違った時引きすぎちゃうんだよね。
子どもっぽい、無邪気に自分の感情を出す私と、人の顔色を窺い、人に合わせようとするいい子の私。 極端なんだよね。
Zさんとのコミュニケーションでも、この私の極端さがでてしまった。 彼女に、その場でもう少し自分の気持ちを伝えることができていたら、、、 もう少し早くZさんが全く人を受け止めない、全く人とコミュニケーションしない人だって、見切っていたら、ここまで関係が悪化することはなかっただろうな。
だけど、少しずつ安定してきてる。 思い出し怒りに駆られて、物に当たることも少なくなってきたし、思い出し怒りに駆られても、そういう自分に気付くたびに「あ、今私、私を傷つけた人が不幸になるストーリーを妄想してるな」とか「今、過去の嫌な出来事へのこだわりの中にいるな」とか心の中で言葉化して、観察する自分に戻るだよね。 そうすると、少しだけ思い出し怒りしている自分と距離が取れる。 距離があくことで安定する。 いつもいつもこう上手くはいかないけど、少しずつできるようになってきてる。
自画絶賛だけど、私本当によくやってるなー 自分の気持ちや状況を人のせいにせずに、本当によくやっている。
ヨガ続けてみる。 頭でっかちにならないよう。
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