極端なつぶやき
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最近は、こっちの日記を全然書いてませんでした。
mixiの日記は、音楽関係の知り合いが読むので、軽めに明るく、音楽ネタが主。 こっちには、それに書けないちょっと重めの話。 と分けている。
重めの自分がいなくなったわけじゃないけど、なんか書く気がしなくて、放置してました。 こっちの日記を書く自分は、ああでもない、こうでもないと考え、悩む自分。 mixiの日記の自分は、こんなことした、あんなことしたと行動した自分。
前は、考え、悩む自分を文章にして、誰かに読んでもらうことが必要だったけど、それが今は少しずつ変わってきた。 まっ、いいか、という感じ。 考え、悩む自分は変わってないけど、その自分に対する視線が変わってきた。まっ、いいかって。
それに、わざわざ人に読んでもらう必要はないか、と思うようになってきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 私がZさんを拒絶しているのだと気付く。 Zさんに共感能力がないこと、Zさんが人の話を聞かないことは確かだろう。 だが、そういうZさんを私が拒絶しているのだ。
Zさんと私の共通の友人、Aさんから数ヶ月前、こんなアドバイスをしてもらう。 「betyさんとZさんは一緒にいる時間が長すぎて、お互いの嫌なところが見えすぎたんだよ。」 「もう、Zさんのこと観察するのやめな。」 「今は、ライブを成功させることだけ考えた方がいいよ。」 なんと、的確なアドバイス。
本当にそうだと思う。
Zさんのことをすごく気にしている私。 閑な時、気が付くとZさんのことを考えてしまっている。 それも、昔あんなこと言われてむかついたとか、Zさんが不幸にならないかとか、Zさんが他の人からも嫌われて、孤立すればいいのにとか、考えている私がいる。 そんな時、いつも明るく、自分に言い聞かす。 「過去は終わっている。もう、そのことはお終い。もう、それは過ぎ去ったこと。同じことは起こらないよ。私は、もうそれを乗り切ったよ。私は私、ZさんはZさん。私はZさんを変えられない。自分がZさんに反応していることは認めて、あとは手放していこうね。」
ゆっくり行こうと思う。 Zさんを受け入れなきゃと思うと苦しい。 Zさんに、もう囚われないようにしようと思っても、自分の気持ちはコントロールできない。 コントロールできるのは、行動だけ。 Zさんに囚われる自分を責めない。 Zさんへの囚われが湧いてきたら、ただそうやってアファメーションする。
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