| 2010年07月23日(金) |
『シービスケット』 『真夜中のカーボーイ』 |
『シービスケット』Seabiscuit 2003年
引っ掛かったのは少年と両親との関係の「解決」だ。
冒頭で少年と両親の離散が描かれたあと
両親に関わるシーンが描かれていなかったということは
家族のエピソードは少年のバックボーンやキャラクターを描くための
手段であって、ここでもうその役割は果たしているということなのか。
一家離散や破産など悲喜こもごも痛みを抱えた人達が
吸い寄せられるように一所に集まり、
シービスケットによって勇気と力を与えられる
それが物語の柱であり、それが重要であり
冒頭で少年が両親と離散するシーンは
物語を紡いでいく登場人物のキャラクターを描くひとつの要素という取り扱いなのか。
投げたボールが何の説明もなく何の注釈もなく消えたまま
ほったらかしになっていたら気持ち悪いではないか。
少年が、両親を思って煩悶するシーンがちらちらあるだけに
余計中途半端だと思う。
長編なわりにそれぞれのキャラクターの描き方に深さがない。
人間関係がわかったようでわからない。
『アメリカン・ビューティー』にナチフェチ?のゲイ?の父親役で
出演していた人が調教師役で出ていた。
御幣のある言い方だが、キモ渋い味わいの俳優さんだ。
何だか作品の印象よりキモ渋い後味が勝ってる感じ。
再見はする。
『真夜中のカーボーイ』Midnight Cowboy 1969年
何年ぶりに見るだろう。久々の再見だ。
普段は心底に閉まってあって見たくないもの、
見るのを避けていたものを引っ張り出されたような、
それはリアルで苦い自己投影や感情移入だったと思う。
個人的な好みとして、もうほんの少し軽やかさや甘さを感じたい。
佳作には違いないのだが。
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