先生が珍しく自室で午睡などなさっている時、暇をもてあました嘉彦さんに紅茶を入れるよう頼まれた。 私は鴫野先生の秘書であって、嘉彦さんの小間使いではないが、どうもあの人には人を逆らわせない妙な力がある。 「なー氷室、セックスしない?」 とはいえ、また出し抜けにそんなことを言い出されたのには閉口した。 以下その時の会話。 「いたしません」 「何で、あのエロオヤジには内緒にするから」 「いたしません、そういう問題じゃありません」 「どういう問題だよ」 「私には美沙子という可愛くて気だてのいい新妻がおります」 「俺の方が美人じゃん」 「私の目には美沙子の方が美人です」 「美沙子にも秘密にしとくから」 「だからそういう問題じゃありません。私に男色の趣味はございません」 「でもオヤジとやったことあるんだろ?」 「……ッ」 「落ちたぞコップ」 「ございません」 「アイスティでよかったな、頼んだ俺に感謝しろ」 「鴫野先生とは一切そのような行為に及んだことはありません」 「つーかやっぱアイスコーヒーがいい」 「そもそも鴫野先生は美しいものがお好きなのであって、男性をお好きなわけではありませんから、私に手を出すいわれはないわけで」 「アイスコーヒー」 「話聞けよ」 「聞こえてんぞてめェ」 「すぐにお持ちします。その前に誤解を解いてください」 「ムキになるところがあーやしー」 「万が一にもそんな事態が訪れたら、その場で辞職するか舌を噛んで死にます」 「美沙子が泣くぞ」 「美沙子は私が浮気したと知った方が余計に泣きます」 「美沙子と知り合う前は?」 「童貞です」 「何かおまえのこと今すごく好きになった」 「間に合ってます」 「ますますオヤジが喰わないはずがない」 「先生は、ヤラハタは貴重な世界遺産だから大事にしろと」 「ああ、なるほど」 「納得すんのかよ」 「よし、じゃあ俺とセックスしよ」 「意味がわかりかねます」 「だって暇なんだもーん」 「学生は試験勉強でもなさってはいかがかと」 「俺賢いもん。今さら勉強しなくても全然平気だもん」 「じゃあテレビゲームでも」 「同じ暇つぶしなら気持ちいい方がいいー」 「……。先生に言いつけますよ」 「……」 「万が一そんなことになった場合、先生のお耳に入ったら、困るのは私よりも嘉彦さ――痛てっ、氷、嘉彦さんそれ氷! っていうかコップ! ガラスは反則です、危ない、危ないですから!」 「黙れこのクソ童貞! てめぇなんざ童貞の星に帰れ!」 「もうちゃんと捨てました!」 顔を真っ赤にして、嘉彦さんは自分の部屋から逃げるように飛び出して行ってしまわれた。 あんなに取り乱して、先生に見られたら、きっとまたおもしろがられるに違いない。 そうすると痛い目を見るのは自分なのに、嘉彦さんには懲りないことだ。 しかし口を出すだけ馬鹿を見るのはわかっているので、ここに記録するに留める。
それにしても三日家に帰っていない。美沙子に会いたい。ヤラハタの何が悪い、クソ。貞操観念狂いまくりのおまえら親子と一緒にするな、俺は純真なだけなんだ。
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