こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
「川、いつか海へ〜6つの愛の物語」NHK その2「困ったさん眉毛」の慎平が多実と最後に流れ着いたところ - 2005年10月20日(木) ガラスの浮き球が、水源の泉から流れ出し、第2、3、4話とそれぞれドラマを紡ぎ、 1年が過ぎて、再び多実と慎平の前に現れるのが、このドラマの第5話。 慎平の心の中で、多実への思いも、細かった川幅が次第に広がるように、大きくなっていったらしい。 その2 離婚から1年、多実と慎平の旅のゆくえ 芝草の専門家となって、サッカースタジアムで生き生きと働く多実の前に、久しぶりに慎平が現れた。 元気そうに振舞っているけれど、どこか様子がおかしい慎平。 多実には隠しているけれど、彼はこの1年、愛人にも振られ、会社経営も失敗して、大変なことになってしまっていた。 既に沢山の人を騙し、それでももう、あとは死ぬしかない、自分に掛けられた生命保険で借金を返さなければならない、そんなところまできた慎平。 そんな彼を支えているのは、あの水源への旅での多実との思い出。皮肉にも、離婚のときに生まれた多実への新たな思い。 それを多実には最後まで隠して、独りで死ぬつもりでいる、彼の精一杯の、ぎりぎりの思いやりというか、プライドというか、尊厳が、泣ける。 愛人の色香とお金に、つい、迷ってしまった。詐欺という犯罪行為に、つい、手を染めてしまった。 そんな、悪い人ではないけれど「つい、○○してしまう」ような、愚かで、弱い人。 一見、乗ってるようで、調子良いふりで、でも、哀しいくらい弱い、でも、情はある、でも、迷い多き凡夫。 そんな男を演じさせたら、やっぱりユースケ氏はうまいし、可愛い。 そこには、あの「困ったさんの眉毛」が効いている。 その下の目尻はクールなので、バランスがいい。 どんなときでもホームポジションが八の字の眉毛が強力だ。 真剣な場面ではそれが逆八気味になってコントラストが一層際立つし、常日頃から、どこか哀しそうだ。「かなし」いのは古語では「可愛い」「いとおしい」と同義だ。 ユースケ氏は眉毛に高額保険をかけるべきだ。 更に、左右非対称な鼻の形も、なにかしら危うい感じを醸し出している。どこか、既に誰かに殴られているような雰囲気だと言ってもいい。 だから表情が、なんとなく深い。 多実とふたりきりで船の上、おそらく人生最後の覚悟で、多実との結婚生活の思い出を反芻する慎平の、顔は笑っていてもさりげなく秘めている悲壮感。 多実の寝姿をみつめてから、携帯電話をそっと海に沈めながら、自分の死ぬ姿を想像するときの、逃げ場の無い感じの目。 別れ際にそのただならぬ決心を多実に問い詰められて彼女に告げる。 「俺、おまえだけじゃなくて、いろんな人を、騙しちゃった・・・・。だから、こんな男、おまえの手で捨ててやれ。」 無理に笑いながら、半ば泣きそうな慎平。ダメな男ながら、せめて精一杯、多実の幸せを願いつつ消え行こうとする様子。 それが、すごく、憎めなく、いとおしい感じがする。 普通なら、こんな借金まみれでヤミ金やら警察やらに追われているような男に、女が救いの手をさしのべるなど、余程のことだ。 でも、あの浮き球が、慎平の心に生まれていた一滴の愛を育て上げて、奇跡を起こしたのか。 それが多実の心の、隠れた愛の力を、引き出してしまったのか。それはもう、愛することに臆病だったあの多実じゃない。何か超えてしまった。 お互いに相手のことが大事だということを、夜の船の上でも、いやもっと前から、本当は気づいていた二人。 そして多実の母。娘が心の底で好きなのはやっぱり慎平だと見抜いていた母。娘が惚れた男を助けるために家を売ろうと決める母。 浮き球の前で彼ら彼女らの心の底力が素直に発揮される。どんな濁りもそのまんまで受け入れてしまう、ワンランクスケールが大きい愛として。 その包容力はやはり、うーん、「母なる海」と言いたくなる。 その後、浮き球は第6話で、母・遼子と父・司郎の思いをのせて、海に還り、流れ流れてカナダの森へ。森は海を育み、海からまた森へ、命がめぐる・・・。 NHK50周年記念だけあって、壮大なドラマ。これならDVD買ってもいい。(と思いつつ、お金のやりくり都合でまだ手に入らないのです。何度もレンタルするくらいなら買ったほうがいいんだけれど) -
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