月に舞う桜
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障害者の人生をやることにほとほと疲れた。 何もかもが煩わしい。
自分で言うのもなんだけど、小学校のころからずっと頑張ってきた。健常者なら気にしなくて済むことを、毎日毎日気にしながら、心配しながら生きてきた。 小学校から高校までは電動車椅子ではなく自走式の車椅子だったし、学校にエレベーターがなかった。だから、移動するときは常に誰かに車椅子を押してもらわなければならなかったし、3,4人で車椅子ごと持ち上げて階段を上り下りしてもらわなければならなかった。体育や音楽や家庭科など、移動教室のときはいつも、誰か連れて行ってくれるだろうかと気掛かりだった。独りでは、移動もできない。 私は健常のクラスメイトに比べて、やることに時間がかかる。板書も、家庭科や美術の作業も。周りに遅れず、時間内にちゃんとやり終えられるか、いつも心配だった。 技術の工作は授業中に終わらないし、そもそも自力で仕上げられないので、家に持って帰って親にやってもらった。 時間をかければ自分でできるけれど、授業中には終わらないようなこともあったから、それは家で自力でやった。高校になると板書量が増えて書き切れず、あとで友だちにノートを借りた。ただでさえ私は生活に時間がかかるのに、さらに家での時間を削られる。なんで私がこんな目に遭わないといけないのだろうと、やりきれなかった。 トイレのことも、いつも気掛かりだった。決まった時間にちゃんと尿が出るか、介助者のいない時間に急にトイレに行きたくなりはしないか。
大学を出て、三つの会社で働いた。自分なりに一生懸命仕事した。特に二社目と三社目では、働きぶりを周囲に認められていたと思う。
自分なりに必死になって、頑張ってきて、でも、それがいったい何だというのだろう。 いまはこんなに、すっかり疲弊してしまった。 障害者の人生をやらされていることに表立って不平を言わず、わめき散らしもせず、頑張って頑張って、それが当たり前みたいにやって来たけど、あれはいったい何だったのだろう。それで何が得られたというのか。どこまで行っても終わりはないじゃないか。
私はもう、人生を下りたい。 人生でやるべきこと、やりたいことは一通りやったし、もうじゅうぶんでしょ? 仕事を辞めて8年も経って、今は、周囲から見たら何の努力もせず、お気楽な人生と見えるのだろう。でも、ちっともお気楽ではない。煩わしさと疲弊と苛立ちが増えるばかりだ。 たとえ「最善の医療福祉」とやらが提供されても、日常生活全般に渡って他人の介助を受けなければ生きられないことの煩わしさは解消されない。 四六時中、他人と接して感情のやり取りをしなければならないことの煩わしさと疲弊を、”善良な人々”はどう考えているのだろう。
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