月に舞う桜
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4月26日の日記に書いた、居宅介護のヘルパーさんが「趣味でやっている短歌会の冊子を、今度持ってくる」と言っていた件の後日談。
数週間前、ヘルパーさんが件の会報を持ってきた。 正直、読みたいとも言っていないのに持って来られて迷惑ではあるけれど、感想を聞かれるといけないので読んだ。 会報の名前に何となく見覚えがあるような気がしたが、よく見てびっくり、某宗教がやっている短歌会だった(厳密な意味では宗教団体ではないが、思想団体という意味で私は宗教と見なしている)。 気持ち悪いやら腹立たしいやら。 あわよくば、私をこの団体に引き込もうとしたのだろうか。 急いでヘルパー事業所の契約書を確認すると、ヘルパーの禁止事項の中に「宗教などの勧誘」が含まれていた。 万が一、ヘルパーが今後何か一言でも勧誘めいたこと言おうものなら、すぐにヘルパー事業所にクレームを入れようと決意した。 そして、金輪際、私からは短歌の話題をいっさい持ち出さないことも決めた。
次の週以降、ヘルパーから短歌の会報については何も聞かれなかった。私が感想を言わないので、何か察したのだろうか。 一度、「桜井さんは最近、短歌を作ってますか?」と聞かれたが、「いやあ、暑くてだらけてて、全然なんですよ」と笑って答えておいた。本当は、その頃ちょうど、調子よく短歌を立て続けに数首作っていたのだが。
障害者は、宗教に狙われやすい。 私は祖母が熱心なカトリックだったため、その反動で宗教全般が大嫌いだ。生理的に受け付けないレベルで。 今回は勧誘されなかったが、ちらとでもそういう素振りを見せられたりすると、無性に腹が立つ。
日常生活全般について他人の介助を受けて生活しなければならないと、様々なリスクがある。 代表的なのが、身体的暴力のリスク、金銭収奪のリスク、勧誘のリスクだ。 今後、母がもっと年を取ったり病気になったりすれば、ヘルパーの利用を増やさざるを得ない。母が死ねば、日常生活を全面的に、他人であるヘルパーに頼ることになる。それも、何人ものヘルパーに。 そうすれば、リスクは格段に上がる。 週に一度しか居宅介護を利用していない今でさえ、ヘルパー介助が煩わしいのに、全面的にヘルパーに頼らなければならない将来を考えると憂鬱で仕方ない。ましてや、暴力や勧誘のリスクも考えるなら、尚更。
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