月に舞う桜
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私たちは、いつか必ず死ぬ。でも、よほど運が良くなければ即死や眠りの延長で死ぬことはできず、たいていは死に向かって長いあいだ苦しまなければならない。 みんな、安楽死制度がなくて怖くないのだろうか。
私は、将来大きな病気を患ったとき、病や治療の苦しみに耐えられないと思う。だから、大きな苦しみが訪れる前に生を終わらせたい。 耐えがたい苦痛が訪れてから検討を始めたり、私が感じる耐えがたい苦痛を「耐えがたい苦痛」かどうか他人に判定されたりする安楽死制度でさえ、まだ足りない。
〈安楽死した女性は「早く終わらせてしまいたい」「話し合いで死ぬ権利を認めてもらいたい。疲れ果てました」などと周囲に漏らしていた。〉 (シェアした記事より引用)
安楽死制度がないから、こういうことが起こる。
死にたい人の自殺を止めた人が、生き延びてしまった本人の意向に関わりなく行政から表彰される一方で、本人の希望を叶え、苦しみを取り除いた人が逮捕されてしまう。 なぜなんだ?
医療は、人の命を救うことより、人を救うことを第一義としてほしい。 人の命を救うことが尊いこととされ賞賛されるべきなのは、本人が命を救われることを望んでいた場合だ。 多くの場合、人は自分の命が救われることを望むので、それがいつなんどきも賞賛されることだと勘違いされている。 でも、必ずしも、命を救うこと(=本人の希望にかかわらず、何が何でも生き永らえさせる)が人を救うことになるとは限らない。
◆安楽死したALS患者女性の語った言葉とは 京都安楽死事件、医師2人逮捕(2020.7.23 京都新聞) https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/314374
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