月に舞う桜

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2020年01月10日(金) 集合の号令に乗っからなくても

昨年の紅白でMISIAがレインボーフラッグとともに出てきたのを、私は単純に「良いな」と眺めていた。
でも、ツイッターで、当事者の「番組構成のせいで、レインボーフラッグがマジョリティによって奪われたように感じた」という趣旨の意見を目にして、なるほどなと。

私はセクシャリティに関しては完全なマジョリティなので、良いとか悪いとかジャッジすべきではないし、自分の感想はあるにしても、まずは当事者である人たちがどう感じたのかを知りたいと思った。
ネットには、あの演出に力をもらったという当事者の声も、もちろんあった。

これは紅白やMISIAへの批判ではなくて、一般論として日頃考えていることなのだけど、自分がマジョリティであるとき、マイノリティの言葉やアイコン等々を収奪しない、彼らの代わりに何かを語らない、を肝に銘じている。それは、口をつぐんで無関心でいるということではなくて、マイノリティである当事者がどのように考えているのか、まずは黙って見ることも大事ということ。
だから、あの演出・番組構成について、マジョリティの立場で無邪気に「良かった♪」と発信する前に、当事者の様々な感じ方を知ることができたのはよかったなと思う。

シェアしたマサキチトセさんのコラムは、当事者として、この件に関してまた別の視点から書かれている。

私の個人的な話だけど、障害者団体に馴染めず、カテゴリーで言ったらそっちの枠なのに、馴染めない私はもうあそこに行ってはいけないんじゃないか……などと考えていた昨年末。

マサキさんのコラムの、「3−5、集合」の号令に乗らなくていい、乗らなくてもあんたは3−5だよ……のところに勝手に救われている。

この社会で生きていくためには、連携が必要だ。
でも、連携は、全体主義に陥る危険性もはらんでいる。
たぶん、どんなコミュニティにも――全体主義的なものに抗おうとするマイノリティのコミュニティでさえ――全体主義的な側面は生まれてしまうんだろう。
その危険性を意識しつつ、集合の号令に乗っからず、なおかつ「3-5」でい続けること……難しいけれど、私も、「3-5」でいていいよね。


◆「MISIA、かっけー!」だけでいいのか 紅白に突如現れたレインボーに感じた興奮と戸惑い(2020.01.07 WEZZY)
https://wezz-y.com/archives/71794

「私たちは紅白であのレインボーが出てきた瞬間、「3−5、集合」の号令に、既に心をかき乱されていたんだ。その呼びかけに、乗りたい、乗りたくない、乗らなくちゃ、乗りづらいな、乗ったらどうなるかな、乗らなかったらどうなるかな、と焦る私たちに、「あれには乗らなくていいんだよ」、「あれに乗らなくてもあんたは3−5だよ」と肩を叩いて落ち着かせてくれたのは、国家主義的な番組構成にレインボーが含まれたことに対して疑問の声をあげた人たち、つまりまさにかれらの言うその「文句」だった。」


桜井弓月 |TwitterFacebook


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