月に舞う桜
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2019年12月15日(日) |
双方から追い詰められる |
とあるセミナーに行った。 テーマは「介護保険と障害者」。
現在、65歳未満の障害者は、障害者総合支援法下の障害福祉サービスを受けることができる。 が、65歳になると原則として障害福祉サービスより介護保険が優先されるので、介護保険に切り替えられてしまい、それまで受けていた障害福祉サービスを受けられなくなる。 それでは、生きていけない。 この「生きていけない」というのは、ライブに行けないとか、ちょっとした贅沢な食事ができないとか、そういうレベルの話ではない。 介護保険では、障害福祉サービスの重度訪問介護のような長時間の介助が受けられないし、薬を飲んだり塗ったりするのも手伝ってもらえない。身体介護の範囲も限られる。家族がいると利用可能時間が短くなる。外出支援もない。 サービス利用が細切れになるので、介護保険に切り替わったら1日1食しか食べられなくなるとか、何日も入浴できなくなるケースがある。 本当に、文字通りの「生きていけない」。
で、やってきた役所の人は、よくもまあ、これだけ具体的な中身のない、お題目だけの話ができるもんだわという感じ。 しかも、介護職の人材不足解消策として「学生さんたちに福祉や介護のやりがいをアピール」云々と言っていた。
出たよ、やりがい! その前にカネだよ、カネ出せ! やりがいじゃ、腹は膨れないんだ!
あと「ベトナムや中国の人に横浜に来てもらって〜」とも言っていた。
出たよ、外国人頼み! 低賃金で働いてくれる日本人がいないからって、低賃金で外国人を使おうとするな! 別に、介助してくれるのは日本人でも外国人でも良いんですよ。だけど、介護職はコミュニケーション能力がないと務まらないのだから、外国人に働いてもらうなら、かなりしっかりした教育システムが必要。 でも、たぶんそんな教育システムは考えてない。
去年のセミナーに来た役人は、もっと中身のある話をしてたし、親身に考えてるふうだったのになあ。
それにしても障害者団体って馴染めないなあ。 障害者団体が一般的にそうなのか、昨日の主催団体の特徴なのか知らないけど、やっぱり強い人が多いんだよな。 まあ、今日の主催団体は、ピア相談に行ったら「強くならないとね」とか言っちゃうところだからな。そりゃあ私に合わないはずだわ。
「闘わないと権利は守れない、奪われる」「頑張らないと!」って、それは確かに現実としてその通りなんだけど、そればかり言われると、「ああ、結局、強い人間しか生きられない世界なんだなあ」と再認識して、ドロップアウトしたくなる。
ほんの一言でも、「いつか闘わなくても、そんなに命がけにならなくても、生きていける世の中にしましょう」とか「頑張れるときは頑張って、でも、弱いままでもいい」って発信があればなあ。
「毎日役所に行け」とか言うしさ。
同じマイノリティ属性同士で、弱いことを許さない空気なんだぜ。社会も、社会と闘う人たちも、闘いを強いてくる。 頑張らないと生きていけない者同士で「頑張らないと生きていけないぞ!」と脅迫し、追い詰める地獄絵図である。
たしかに闘わないと奪われるのが現実かもしれないし、現実がそうなんだから闘っていくしか仕方ないんだけど、社会制度的に差別されている側が闘わないと生きていけない、必死にならなきゃ生きられない社会は間違っている。 それを、闘いの双方が認識しなきゃいけない。 で、闘わなきゃ生きられない社会なのは、行政が甘えきってるから。しかも甘えを自覚してない。
65歳までに死んだほうがいいな、マジで。 (「重度障害者は」ではなく、あくまで「私は」です)
何て言うか、立場としては近いのだけど、障害程度や過去・現在の生活環境が他の人たちの中で私だけ微妙に異質なのかもしれない。 立場が近ければ近いほど、微妙な差は大きな差と感じられて、健常者の中にいるときよりむしろ孤独感は増すのかも。 自分に合うコミュニティを見つけるのも、なかなか難しいよね。 同じような障害を持つ人たちと……と思っても、脳性麻痺と言っても障害程度はピンキリだし、車椅子ユーザーで括ったとしてもピンキリだし。 そう言えば、去年のセミナーでも同じような孤独と馴染めなさを感じたんだった。 学習能力ないのか、私!
何かもう、こんなに生きていけなくなる暗澹とした気分になるなら、セミナーじゃなくて横浜アリーナのスピッツのライブに行けば良かったなあ。 (チケットが取れたかどうかは別として)
でも、もしかすると私も周囲から強い人と思われているのかもしれない。それは、相手が勝手にそう思っていると言うより、たぶん私がそういうふうに見せているから。 だとしたら、気をつけなくちゃ。 「あいつは弱くてダメな人間だ」と思われるより、「あの人みたいに強くならないと」と思われるほうが悲しいし、つらい。私の存在が、誰かを追い詰めることになるのは嫌だ。
ところで、パネリストとして木村英子が来ていた。 なぜ選挙のときに重度障害当事者の中でも彼女に白羽の矢が立ったのか、分かった気がした。 話し方とか、話のもっていきかたとか、たぶんうまいんだよね。攻撃的でも扇情的でもなくて。
あ、あともう一つ思い出した。 パネリストの一人(木村英子じゃない)が「我慢して制度に生活を合わせるのは、障害者運動の邪魔」とも言っていた。 この言い方も、私には受け入れがたかった。 闘うのは正しい行動の一つかもしれないけど、それをしない(できない)人たちをなぜ否定し、攻撃するんだ?
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