月に舞う桜
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2019年11月09日(土) |
【本】『相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム』 |
立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム』
立岩先生の論考を目当てに読んだが、最も共感したのは杉田氏の↓の言葉だった。
「生存という事実には、そもそも意味も無意味もない」 「障害者だろうが健常者だろうが、人間の生には平等に意味がない」
この引用だけだと身も蓋もないことを言っている本と思われるかもしれないけど、そんなことはなく、むしろこの言葉は本全体の中で(杉田氏の章の中でも)特異な部分。 でも重要なところだと思う。 生きていることはただの事実。そこに無理に意味や価値を見出さなくたって、探さなくたっていいじゃないか。 本人がそうしたいなら、自分の生に意味を見出して生きればいい。 ただ、生の意味を過剰に追求すると、「自分なんか(もしくは、あいつらなんか)生きている意味がない」という結論もあり得てしまう。 生存はただの事実だから、「自分なんか(もしくは、あいつらなんか)生きている意味がない」と突き詰めてしまうことこそ無意味だ。だって元々意味なんてないのだから。 これは、「生には意味がないなら、みんなで死んじゃえばいい」ということではない。 意味があるから生きているわけじゃない。意味とか無意味とかの以前に、私たちは生存してしまっている。生は、ここにある。だから、開き直って生きるしかない。
この本は、相模原障害者殺傷事件を深く掘り下げるというより、優生思想や障害者殺しの歴史、この事件が社会でどう受け止められ、その受け止められ方の根底にあるものは何なのかが語られている。 私としては、犯人が犯行の5ヶ月前に犯行予告と思われる衆議院議長宛の手紙を届けていたのだから、どうにか事件を防ぐことはできなかったのかがとても気になる。その点を誰かに追及してほしいし、追及したものが読みたい。
また、「自傷・他害のおそれ」による措置入院について、自傷と他害を一括りに語るべきではないという立岩先生の意見には賛成なのだが、「他害のおそれに関して精神医療は介入すべきではない」との論拠はよく分からなかった。 あと、立岩先生が優生思想と安楽死思想を、それこそ一括りにしているのが乱暴すぎるとも感じた。 立岩先生の思想には共感するところが多いのだけれど、安楽死についての考えは私とは一貫して相容れない。
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