月に舞う桜
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2019年09月05日(木) |
龍玄とし『マスカレイド・展』上野PRE-EXHIBITION |
上野の森美術館で開催されている龍玄とし(Toshl)初の絵画個展『マスカレイド・展』のPRE-EXHIBITIONを観に行った。 「音の世界を、描く」を副題に、Toshlが自らの楽曲を絵に描いた作品が並んでいる。 完全入れ替え制で、鑑賞できる時間は25分と、短い。ギャラリーはそれほど広くなく、展示作品数も絞られているので、初めは25分でも余裕があるだろうと高をくくっていた。が、途中で制作風景の映像とプロジェクション・マッピングが流れるため、制限時間はあっという間に過ぎていった。「時間配分を間違えた。一つ一つの作品をもっとじっくり観たかったな」という思いも。 それでも、Toshlの絵としっかり向き合い、その世界の奥深さを味わうことはできた。
とても「キャッToshl」と同じ作者の絵とは思えない、本格的な抽象画の世界観に驚く(私は「キャッToshl」のかわいくて気軽なタッチも好きなんだけど)。 己の内面にぐっと踏み込んで対峙し、こちらの心にも踏み込んでくるかのような絵の数々。描くことにとても真剣に取り組んでいることが伝わってきた。
以下、作品ごとの感想を書く(絵のネタバレだらけなので、あしからず)。
『音色』 ギャラリーに入るとすぐ目に飛び込んでくる作品。 金色に近い黄色のキャンバス。銀のラメを中心に、黄色や緑、赤など色とりどりの曲線が渦巻くように描かれている。そのキャンバスが横に3つ。色鮮やかな曲線はどれも細いが力強く、自由にてんでばらばらに踊っているようでいて、それぞれが響き合っている。 この絵を見た瞬間、「ああ、これは『音色』というタイトルだけれど、私にとっては『歌声』だな」と感じた。『音色』は、Toshlの歌声そのものだ。私はいつも、Toshlの歌声に希望を感じている。それと同じ種類の希望と輝きが絵に満ちあふれている。絵から、Toshlの歌声が聞こえ、降り注ぐようだった。 他の作品からは闇や孤独や痛み、ダークな色合いの中にある力強さを感じるものが多いが、『音色』は一点の陰りもなく絵全体が光り輝いていて、光や希望の集合体だ。 一番初めに目に入る作品が、この絵で良かった。最初にこの絵を観ることができたから、あとに続く作品としっかり対峙できたと思う。
『艶』 Fantasy On Ice 2019でToshlの楽曲『マスカレイド』を演じた羽生結弦選手を描いている。今回の展覧会で唯一の人物画。 失礼ながら、この作品を観てようやく「あ、もしかしてToshlって実はかなり絵がうまいのでは!?」と気づいた。 最初の一音が奏でられる瞬間の緊迫感がみなぎっている。 ギャラリーのスペース上、仕方がないけれど、『音色』と『艶』は、できればもう少し遠目からも鑑賞しやすい位置にあるとよかった。特に『艶』は、少し離れて観た方が、衣装の質感がわかりやすい。衣装の袖口の質感が秀逸。立体感も感じられる。
『奇跡の月明かり手のひらに零れ』 楽曲『マスカレイド』の歌詞の一部をタイトルにした作品。黒いキャンバスに、大きな楕円形が見切れて描かれている。左右から、血を垂れ流したような赤い線。この線は絵の具に厚みがあり、思わず触れたくなる立体感がある(もちろん触っちゃダメ!)。 楕円は赤や黄色、黒などで複雑に塗られ、不思議な模様をなしている。月というよりは、マグマから生まれた質量の大きな鉱石のようだ。赤を侵食するような黒い染み、混ざり合って太陽の炎のようにも見える赤と黄色。絵なので人為的なものなのだが、自然が生み出した複雑さに見える。幾重にも塗り重ねられた色は、筆の動くままに任せた結果なのか、計算なのか。インスピレーションなのか、それとも考え抜かれた意味と意図があるのか。 Toshlって、こういう絵も描くんだなあ、と新たな発見をした一枚であり、制作中のToshlの心の動きに思いを馳せつつ鑑賞した作品。そして、存在を少し遠くに感じた作品でもある。
『マスカレイド』 今回の個展のタイトルとなっているメインの作品で、F100号×10枚の大作。F10号は1,620mm×1,300mmのキャンバスで、これを横長にして縦2枚、横5枚並べているので、絵全体としては縦が2.5メートル、横は8メールほどある! (ちなみにパンフレットによると、『音色』はF50号×3枚、『奇跡の月明かり手のひらに零れ』はF100号×3枚、下に書く『CRYSTAL MEMORIES』はF60号×8枚だそう。他も、大きな作品ばかりだった!)
楽曲『マスカレイド』そのものだけでなく、羽生選手の演技にもインスピレーションを得て描いたそう。でも、私は羽生選手にそれほど思い入れがないので、ただToshlの内面、制作中の心情に思いを馳せた。 外界へ見せている仮面の姿、仮面の内側の、隠した想い。仮面を通しても見える……あるいは、仮面を外して見せる、あふれ出る情熱と生の強さ、それでもなお内側に秘められた孤独や悲しみ、寂しさ……。 黒いキャンバスに、層をなすように重ねられた赤。赤と一口に言っても、鮮やかな赤もあれば、ワインのような赤、黒みを帯びた赤もある。左のほうに広く塗られた赤は、魂の熱が発する蒸気のように揺らめき、もくもくとしている。そして、作品全体に舞う、ビロードのストールのような赤。 けれども、多種多様な赤に感嘆しつつ、一番印象的だったのは、白の使い方だ。全体的に暗めで孤独を思わせるトーンの中で、白が際立っている。キャンバスを貫くように踊る白は、力強く、迷いがない。それは孤独や悲しみの中に差す光――まるで、Toshlの歌声のようだ。 非常に色に厚みがあることも印象的だった。 『マスカレイド』の歌詞を、もう一度じっくり読み返したい。
『宿命の記憶』 ギャラリーの最奥、行き止まりの壁に展示されている。 真っ黒なキャンバスに、大きな血だまりのような赤が3つ。 入口の『音色』と最奥の『宿命の記憶』が、見事に対照的だった。明と暗、陽と陰、光と闇。幸せと痛み。笑顔と孤独。Toshlの二面性……多面性? 並べて鑑賞するのも面白いかもしれない。同じ作者で、こんなに色調や世界観が異なるなんて! 純粋に絵として好きなのは『音色』だけど、作品の前で何時間も立ち尽くしていたいのは『宿命の記憶』だ。目にした瞬間、心をぎゅうっと掴まれて、苦しくなる。帰宅後も、この絵がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。 真ん中の赤は、心臓だろうか。誰かに傷つけられたように赤がえぐれ、引き攣れて、その下の黒が見えている。それでもなお力強く脈打っている、そんな印象だった。 ほとばしる魂の叫びに呼応して、こちらも叫びたくなるような、それでいて、過去現在未来のToshlをやさしく抱きしめたくなるような切ない感覚。
私は、94年にToshlと出会って、そのあと97年があって、98年があって……それから長い年月を経て、2008年があって、2010年があって、2014年、2015年、16年、17年、18年、19年……その間の言葉にしがたいいろんなことも全部、この絵に凝縮されている気がした。 長い年月と、痛みを想った。黒と赤のみで、グラデーションもないシンプルな色使いだからこそ、圧倒的な存在感と有無を言わせぬ迫力に満ちているのかもしれない。単純と言えば単純な構成に、込められた想いの複雑さを感じた。
『運命』 鮮血のような赤に塗られたキャンバスの左側に、バケツの中身を上からぶちまけたように黒が広がっている。右側には何も描かれていない。 絵の構成が『宿命の記憶』と似ているものの、赤と黒の使い方が逆だし、作品の持つ意味も逆なのかもしれないと感じた。 『宿命の記憶』は「記憶」というくらいだから、たぶん過去のこと。それに対して『運命』は、過去と現在と、そして未来。『運命』の右半分に何も描かれていないということは、運命はまだまだ続いていて、これからどのようにも描くことができる、Toshlが自分で決められるということだろう。
『CRYSTAL MEMORIES』 キャンバスは群青に塗られているが、その色は単一ではなく、よく見るとうっすらグラデーションになっている部分がある。それはまるで、夜が更けきって、明るくなる寸前の空のようだ。その群青のキャンバスに、迷路のようにも蝶の羽の模様にも見える白。白の終着点には、スワロフスキーのクリスタルが付いている。絵の具だけではなく、様々な素材を使った試みは面白い。
『奇跡の月明かり手のひらに零れ』と『CRYSTAL MEMORIES』は、タイトルから私が想像する絵とだいぶ違っていた。私とToshlの感性の違いを感じつつ(それはかなしいことではなく、むしろ愉快なことだ)、Toshlの創造性、芸術性を想う。
鑑賞中、時間が来るとスタッフが『マスカレイド』の制作映像を流した。入館者全員で、それを観る。 ピアノ弾き語りの『マスカレイド』をBGMに、画面の中で一心に、ひたむきに、筆や刷毛を走らせる。ときには力強く、ときには慎重に。稀代のアーティストというよりは、一人の素朴な人間の姿だった。
また少し鑑賞時間を挟んで、今度はプロジェクション・マッピングが流れた。題して「龍玄プロジェクション」。 楽曲『マスカレイド』と、絵画『マスカレイド』の融合。スクリーンの中で、絵画『マスカレイド』が絵の要素ごとに現れては消えていく。赤が花びらのように舞うのが印象的。 これまでいろいろバージョンの『マスカレイド』を聴いてきたけれど、プロジェクション・マッピングの『マスカレイド』が一番好きだ。歌い方も一番好きだし、壮大で力強いピアノやヴァイオリンなどの音色によって、いっそう歌が映えると感じた。
プロジェクション・マッピングをやっていない間は、スクリーンに『昇龍』が映し出されていた。大きな、白い龍の絵。今回は、原画の展示はなし。
すべての作品を一通り観て、気になった絵を再度、一つ一つじっくり観ていった。が、途中でプロジェクション・マッピングが始まり、それが終わると退館しなければならなかったので、もう少し時間があればなというのが正直なところ。でも、もっと時間があったとしても、結局は『宿命の記憶』の前に居る時間が長くなっただけかもしれない。 歌とは違う一面(表情、感情)を見ることができた絵もあったし、歌よりももっとダイレクトに内面がさらけ出された絵もあった。でも、伝えたいこと、表現したいことがあって、想いを込めてそれを伝えようとしているのは、歌も絵も同じ。
貴方が幸せでありますように
孤独がかき消され 寂しさが埋められ 傷が癒え 絶望から守られますように
たとえ孤独に苛まれても 寂しい夜があっても 傷が塞がらなくても 絶望が忍び寄っても それでもなお、いつも幸せでありますように
物販には、スタッフとして小瀧俊治さんがいた。こんなことまで手伝ってもらって申し訳ないなと、なぜか私が恐縮してしまう。 グッズは、パンフレットとDVDとポストカードを購入。パンフは、開催初日に印刷ミスが見つかっていた。まだ正規版が届いていなかったので、ミスを承知で買った。たしかに、ページの順番がめちゃくちゃで、かなりカオス。まあ、これはこれで芸術的と言えなくもないし、貴重な記念に。
『マスカレイド・展』の開催が決まったときは行くのを迷っていたけど、行って良かったな。
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