月に舞う桜
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2018年04月06日(金) |
少しずつでも時代は変わっている……と思いたい |
先日、気掛かりなことがあって婦人科に行った。 治療方法の説明のとき「もし今後お子さんが欲しい場合は……」と言われ、私も子どもを産むかもしれない存在とちゃんと認識されているんだなと、安堵した。 こんなの本当は当たり前のことなんだけど、旧優生保護法下の強制不妊手術関連のニュースに憤っていたところだったから、医師の何気ない一言が心に響いた。 さすがに優生保護法の時代とは違うな。
とは言え、2,3年前だったかな、知的障害を持つ女性が生理不順で産婦人科に行ったら、医師に「子ども産まないでしょ?」と言われた……というニュースがあったから、完全に楽観的なわけじゃない。 でも、少しずつでも時代は変わっていると思いたい。
実際のところ私は子どもを産むつもりはないんだけど、「子供を産むか産まないかという自己選択」と「子ども産むかもしれない存在と認められているか、産んではいけない存在と思われているか」はまったく別の話。 子どもを産むつもりがないからと言って、子どもを産んではいけない・持ってはいけない存在とみなされて良いわけはない。
ちなみに、強制不妊手術のどんなニュースに憤っていたかと言うと……↓ 森友学園問題とはまったく違うところで、公文書って本当に大事だなと痛感した話でもある。
★強制不妊手術 旧厚生省が「優生手術」増を要請 (2018.2.20毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20180220/k00/00m/040/149000c
旧優生保護法に基づく障害者への強制不妊手術に関して、1957年に当時の厚生省が手術件数の増加を求める文書を都道府県に出していたそう。 これは、その公文書が京都府立京都学・歴彩館(公文書館)に保管されていたから発覚したことだ。
当時の厚生省は
・優生手術の実施件数が予算上の件数を下回っていること ・都道府県によって手術実施件数に格差があること
を問題視して、 「手術対象者が存在しないということではなく、関係者に対する啓蒙活動と貴殿の御努力により相当程度成績を向上せしめ得られるものと存ずる次第」 「本年度における優生手術の実施につきまして特段のご配意を賜りその実をあげられるよう御願い申し上げる」 などと言っている。
あのさ、本人の同意を得ない強制不妊手術で「啓蒙活動」とか「ご努力により相当程度成績を向上せしめ得られる」とか「特段のご配慮を賜りその実を上げられるよう」とか言っちゃってるんだよ、役所が。 でもこれ、公文書がきちんと保管されていなかったら、闇に葬られていたんだよね。
あと、これ↓
★障害者に禁止レントゲン照射 強制不妊手術で厚生省容認 (2018.2.21京都新聞) http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180221000024
これも同じく京都学・歴彩館に保管されている公文書で発覚したんだけど、1949年には、旧優生保護法で不妊手術方法として禁止されているレントゲン照射を、厚生省が「法の規定で禁止されているところであるが、大学(医学部)等において学術研究目的として行うことは差し支えない」と容認したそう。
流れとしては
京大医学部が京都府に「放射線照射で行いたい」と言う ↓ 府は「規定以外の術式は如何なる場合においても行うことができない。学術研究の特種の場合として認めてよいか疑義がある」として厚生省に照会 ↓ 厚生省が上記の回答
もうさ、本当にさ、どこまでも人の体を軽く見てる。 でも、これも、公文書がなければ明るみに出なかったこと。 過去を知るのに公文書は本当に大事。 公文書の改竄は、現在の国民を欺くだけじゃなく、未来への裏切りだ。 過ちを繰り返さないためにも、過去を知ることは大事。悪政や人権侵害を後の世で正すことができるのも、過去を知ればこそ。 過去を知ることができるのは、正しい記録があるから。公文書改竄は、未来を妨害することでもある。
ちなみに、旧優生保護法下で強制不妊手術された人の中で、個人が特定できているのは約2割だそう。 記録がなければ個人を特定できない。 個人が特定できなければ救済・賠償のしようがない。 何度も言う。記録は大事。
★強制不妊手術、個人特定2割のみ 被害者救済に課題 (2018.3.28朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/ASL3V43H2L3VUTIL00Q.html
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