月に舞う桜
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今日はバレンタインだ。 遠藤まめたさんがコラムの最新号でバレンタインについて書いている。 そちらも興味深い内容なのだが、そう言えば昨年末のコラムが個人的にはとても身につまされたなと思い出したので、シェアしつつ私自身の経験を書いておきたい。
**************************************************** 『大人になった自分はいまでも、制服のスカートを着る羽目になる夢を見る。海外に旅行したらトランクからセーラー服だけがポンとでてきて、ベトナム語を駆使しないとほかに服は買えないし、だいいちベトナムのストリートに買い物にいくのにもパジャマしか着るものがない、という窮地にいたる夢もこの前見た。』 (最下部にリンクを張った遠藤まめたさんのコラムより引用) ****************************************************
まめたさんは、トランスジェンダー男性だ。 わざわざこう明記したのは、それを知らないと、上の引用箇所が持つ意味合いが伝わらないからである。 ちなみに、この夢の話がコラムの主題ではないのだけど、私の経験とリンクして「そういうこと、あるよねえ」としみじみ共感したのがこの個所だったので、引用させていただいた。
内容は異なるけれど、私も、ある決まったシチュエーションで窮地に陥る夢をよく見ていた時期がある。 私の場合は、トイレだ。 夢の中で、トイレに座っている。でも、どんなに頑張っても、出ない(小のほう)。 夢の中の私は、「いま出しておかなきゃ!」と心の底から焦る。
この夢は、現実を色濃く反映している。 小さい頃から、そして大人になっても、トイレのことは心の片隅でいつも気にしていた。行きたくなくても、「しばらくトイレに行けなくなるから」と、頑張って出すことも結構あった。しばらくトイレに行けなくなるのは、介助者がいなくなるとか、移動先には車椅子で入れるトイレがないとか、そういう理由だ。 例えば、学校では、トイレに行く時間を決めていた。中休みと、昼休みだ。 1時間目と2時間目の間、3時間目と4時間目の間の休み時間は、行かない。介助者がいないからだ。 トイレに行きたいときに行けないというのは、結構なプレッシャーである。「いま用を足しておかないと、次に行けるタイミングの前に行きたくなったら困るのに、何も出なかったらどうしよう」といつも思っていた。
トイレの夢は、そのプレッシャーの現れだろうと思う。 夢の中の私は、焦りを募らせる。でも、焦れば焦るほど、本当に一滴たりとも何も出てこない。 現実であれば、「そんなに何も出ないなら、しばらくは大丈夫だろう」と思えたりもするけれど、夢だと、そうはいかない。「何が何でも、ここで用を足しておかないと!」と強迫観念を持ってしまい、どんどん追い詰められる。
そんな夢を、本当に何度も見た。 何年ぐらいだろう。足かけ20年近くは見ていただろうか。 ある解決策を取り入れて、トイレ事情が少し改善された。その解決策も完璧ではないけれど、今のところはこれで良しとするかと思えるし、前ほどはトイレのことを気にしなくて済むようになった。 そうしたら、その夢を見なくなった。 やっぱり、私は長い間トイレを気にして生活していたんだなあ。そしてそれは、私にとって重荷だったんだなあ。
夢から解放された今でも、あの夢の中で追い詰められていく感じとか恐怖とか、夢から覚めたときの疲労感をありありと思い出すことができる。 だから、夢の中でセーラー服しか着るものがなかったときの、まめたさんの追い詰められ感は、本当によく分かる。 もちろん、他人のことだし状況も違うから、完全には理解できないし想像するしかないんだけれど、「あるよなあ、そういうこと。一緒じゃないけど、一緒だなあ」と思う。
トランスジェンダー男性が、セーラー服しかなくて窮地に陥る夢を見る。 車椅子ユーザーが、トイレに行っても出るものが出なくて焦る夢を見る。 大声で訴えて回るようなことではないかもしれないけれど、でもやっぱり、そういう夢を何度も見るのって、不条理だよなあと思う。
人生には、無数の不条理がある。 それはもちろん私に限ったことではなくて、まめたさんに限ったことでもなくて、おそらく誰の人生にも。
例えば、車椅子ユーザーはエレベーターがないと困る、なんていうのは多くの人が知っている。そして、それは最も目につきやすい表層的な困りごとだ。 その奥に、人知れず、いろいろな厄介ごとや心の重荷となっているようなことがある。大きいのも、小さいのも、いろいろな不条理が。 たぶん、誰の人生にも、私が考えもしないような厄介ごとや重荷、不条理があるのだろう。
人生には、無数の不条理がある。 だから、おいしいものでも食べよう。チョコレートでも、チョコレートじゃないものでも。甘いものでも、甘くないものでも。
私と、私の大切な人たちへ、Happy Valentine's Day !! 今夜は、良い夢を。
★遠藤まめたさんのコラム『トランス男子のフェミな日常』より 2017年12月31日号「一人称『おれ』が再デビューしなかった2017年」 http://wezz-y.com/archives/51071
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