月に舞う桜
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2017年06月16日(金) |
気持ちが落ちると人生が面倒 |
ここ3日ほど、イライラしたりウツっぽくなっていろんなことが嫌になったりしていた。
昨日の朝、改札階へ通じるエレベーターが「故障中」となっていた。駅ビルのエレベーターでも改札に行けるけど、まだ駅ビル開店前で動いていなかった。そうすると、150m〜200m先の踏切を渡って、線路の反対側に行かないと駅に入れない。
駅の目の前にいるのに、何とまあ、遠回りなことかしら。
車椅子ユーザーの踏切での事故ってときどき聞くし、実際、危険を感じるので、極力渡らないようにしている。でも、故障中のエレベーターが直るのも、駅ビルが開くのも待ってられないので、仕方なく踏切を渡った。
この時点で、なんかもう嫌になっちゃって。
階段しかないなら、悪態をつくことができる。私が目的地にすんなり行けないのは、エレベーターを設置しない奴のせいだ! って。
でも、本当に嫌になるのは、「誰かのせいにできない面倒くささ」が自分の人生にまとわりついていることだ。 エレベーターの故障とか、遠回りとか、そんなことはどうってことないし仕方ない! と思える日もあるけれど、心が一度立ち止ってしまうと、それが自分の人生における大きな障壁の象徴のような気がして、絶望してしまう。
歩けないことが嫌、っていうのとはちょっと違うんだな。 ことあるごとに、面倒な事態になって生活にとても時間がかかる、そんな人生が嫌なんだよね。
目の前に階段があるのに、それをタタタッと駆け上がって改札に行けない、そういう人生を私が黙って引き受けなきゃいけないのは、なぜ?
エレベーターを作れ! と訴える権利はあっても、エレベーターがなければ立ち行かない人生の根本は変えようがない。誰かのせいではないし、誰にもどうにもできない。
図書館で本を返して、いつもなら持参したポメラでしばらく書き物するんだけど、椅子をどけてもらうために受付に行ったら職員さんがみんな別件対応中で、何だかもうどうでもよくなって図書館を出てふらふら彷徨った。
幸い、そのあと辿り着いたスタバがそれほど混んでいなかったので、しばらくいてもいいだろうと思い、ポメラを広げた。
帰るとき。 駅のエレベーター待ちの列で前にいた人は、杖をついていた。エレベーターが来て、順々に乗り込んで、詰めればその杖の人も乗れそうだったけど、「次でいいです」と言っていた。詰めて乗るのが怖かったのかなあ、杖をついていると幅を取るから遠慮したのかなあ、と勝手に想像した。
人生は、誰もかれもが難儀だ。
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