月に舞う桜
前日|目次|翌日
2017年06月11日(日) |
「そういうふうにしか生きられない」という哀しみ |
これを書いている時点で、X JAPANのツアーに関する記者会見が生中継されたニコ生はまだ観ていない。 観れば、また何か違うことを感じるのかもしれないけど、とりあえず、いま思っていることを書き留めておく。
ドラムはなし、ピアノで参加、アコースティックライブ……。 うーん、まあ「ドラム叩く!」って言い張らないだけ良かったけど、やっぱり安心させてはくれないのね。 本当に大丈夫なんだろうか? ただでさえ、7日間で6公演という強行スケジュールで、ツアー1ヶ月前のいまも首が痛いと言っていて、はたして本当にピアノを弾けるんだろうか? それも、ただ弾くだけじゃなく、YOSHIKI自身が納得するクオリティの演奏ができるんだろうか? 90%治るのに6ヶ月かかると言われてるなら、どうにか6ヶ月以上延期することはできなったのかなあ。 興行的に、延期はもう無理だったのかなあ。
アコースティックライブって、それならそれでいいけど、大阪で2日、横浜で4日も連続でアコースティックライブやって、興行的に成功するのだろうか? とちょっと心配になる。 そして、こんなこと今さら言っても仕方いんだけど、横浜で4日もやらなくていいから地方にも行ってほしかったなという思いがやっぱり拭えない。 まあ、それはそれで、メンバーに移動の負担がかかるから、何とも言えないけど。
YOSHIKIがドラム叩かないなら、この際、日替わりでいろんな人をゲスト・ドラマーとして呼んじゃえばいいのに。 にゃんごすたーとか、LUNA SEAの真矢とか、Dir en greyのShinyaとか、DEZERTのSORAとか。
アコースティックのステージ演出をいろいろ練っているとは思うけど、どうかギターとベースの魅力も存分に発揮できるステージプランでありますように。 お願いだから、「YOSHIKIがステージに立って、ピアノ弾いてるだけで最高!」って感じのお涙頂戴なライブにだけはしないでほしい。 だってそんなの、プロの興行じゃないからね。
どうもX JAPANはメンバーとファンの感情的な結びつきが強くて……時に強すぎて、見失ってはいけないものを見失うことが多々あると思うのよね。私もその渦の中にいるから、見失いがちなのは私も含めてなんだけど。 プロのアーティストがやるライブってのは、第一義に「興行」なわけでしょう? 「ファンのため」とか、「やってくれるだけでいい」とか、そういうことの前に、まずビジネスとしてどうなのかってことを考えなきゃいけないと思うんだよね。 観客はチケット代を払い(それも、安くはないチケット代を!)、アーティストは観客を楽しませる。 本当に幕が上がるのかとか、YOSHIKIが6公演をやり通せるのかとか、ライブ中にYOSHIKIが倒れやしないかとか、そういうことを観客がずっと心配してなきゃならないってのは、プロとしてどうなの? まあ、こっちが勝手に心配してるわけだけど、それにしてもさ、これまでのライブでも付き物だった「心配」とはレベルが違うわけだよ。 「まだ本当に首が痛い」とか言ってて、痛々しい写真も載せちゃって、ツアー初日まで1ヶ月しかないのに観客にこれだけ心配させて、そんなんならライブやめるべきだと思うんだけど。
でもさ。
YOSHIKIは、YOSHIKIの生き方でしか生きられないんだよね。 みんな、そうだけどさ。 誰だって、その人なりの「そういうふう」にしか生きられないんだよ。 自分の人生を誰にも肩代わりしてもらえないとか、他の誰かのようには生きられないとか、それこそが人生の哀しみと孤独だと思う。
難儀だよなあ、YOSHIKIの生き方って。 もっと楽に生きられたらいいのに。 日本人って、苦労することを美徳として、楽することを悪だと考える傾向があるけどさ、本当は楽に生きることこそ美徳なんじゃないかって思うことがある。
でも、YOSHIKIは楽に生きられないんだよね。そういう性分だから、しょうがないのかなあ。
YOSHIKIはそういうふうにしか生きられないんだなって思ったら、尊敬でもなく同情でもなく軽蔑でもなく、何か、ただただ哀しくなった。
こうやって、ああだこうだ書いてても、幕が上がってしまえば、それまでのモヤモヤなんて一気に吹っ飛んで熱狂しちゃうんだろう。YOSHIKIのことも、全部許しちゃうんだろう。
私は、それが分かってる。
でも、今回は本当にそれでいいの?
X JAPAN、日本公演「決行」 YOSHIKIはピアノのみで参加--Yahooニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170609-00000316-oric-ent
|