月に舞う桜
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4月下旬は体調を崩しやすい。 今年は、4月の最終週に高熱と咳が出た。
熱と咳に体を蝕まれながら、あの年もそうだったな、と思い出したんだ。
あの年は、4月下旬に水疱瘡に罹った。高校3年生だった。 ゴールデンウイーク明けから学校に行ってもいいよ、とドクターから許可をもらったばかりの、あの日。 体調はすっかり良くなって、発疹もあらかた消え、家でのんびり過ごしていた。
今日みたいに、晴れた日だった。
授業はどこまで進んだんだろう。連休が終わって学校に行ったら、友達にノートを借りなくちゃ。 そんなことを考えていたら、ラジオから訃報が聞こえた。
晴れた空と、部屋の中のラジオの位置と、貴方の本名でニュースが伝えられたことを、何年経ってもはっきり覚えている。
私、まだ、あのときと同じ部屋にいるんだよ。 あのときのラジオはもう、ないけどね。
この一年、初めて貴方を少しだけ恨んだ。 なんでかな。なんでだろう。 貴方の映像に涙が溢れて、口元を手で覆って歌えなくなってしまったヴォーカリストの姿を見たからかな。 映画を観て、貴方の存在と不在の大きさを改めて思い知らされたからかな。
いまの5人が並んだ宣材写真を見て、向って一番右が貴方だったらどんな感じかなって想像してみたんだ。 やっぱり、貴方も黒い衣装で統一するのかな。その中で、貴方の髪の色が際立っているのかな。 なんかちょっと想像できないんだ。 貴方がいたら、全然違う写真になっていたかもしれないね。
毎年5月2日は、そのとき思ったこと、感じたことをきちんと書き残しておきたいと思った。 それで、ここ何年か、そうしている。 でもね、何年かそうしているうちに、したいからそうしていると言うより、自分の中でそれが義務みたいになってしまってることに気付いたの。 それは何か違うんじゃないか、って、今年になって思う。
死者への想いは生き残った者の生きる糧だけど、生者は、死者への想いを己の停滞の言い訳にしてはいけない。 生者は、死者を言い訳に使ってはならないし、死者を言い訳に他の生者を傷つけてはならない。 死者を……死者への強い想いを言い訳に使うことは、死者への冒涜だし、生者の怠慢だ。
本当はね、死者と生者は比べられるものじゃないって分かってるの。 でも、私はやっぱり生きている人を大切にしたい。 貴方はどこにだっているけれど、もうどこにもいない。 貴方にしてあげられることは、もう何もない。 だから、せめて、生きている人を大切にしたい。
忘れるわけじゃないよ。
大切に思わなくなるわけでもない。
でも、誰かが、貴方を愛して貴方の不在を悲しむあまり、生きている人を傷つけるようなことがあるとしたら、私は生きている人に寄り添っていたいと思う。
そして、もう自分を義務から解放して、本当に書きたいときに書きたいことを綴っていくよ。
ばいばい。
またいつか。
★ちょっとまとめてみたくなったので、ここ数年の5月2日の日記★ 2007年5月2日 時を経ても変わらぬもの 2008年5月2日 Without You 2010年5月2日 一巡り 2011年5月2日 慈しみの音を 2013年5月2日 もうすぐ越えそうで、でも決して超えられない貴方へ 2014年5月2日 17回忌 2015年5月2日 私にとっての真実 2016年5月2日 タイムマシンはないから
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