月に舞う桜

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2017年04月12日(水) 春うらら

晴れてポカポカ陽気の日は、ひとりで気軽に外出できるからありがたい。
今日は朝からポメラを携えて図書館に行った。
仕事のようなものになるかどうかも分からない原稿を書きたかったからだ(うまくいっても「仕事」ではなく、あくまで「仕事のようなもの」である)。
家でも書けるけれど、ネットが繋がる+音楽が聴ける環境はときとして誘惑のかたまりなので、ただただ文字を入力できるだけのツールしかないところに身を置いてみることにしたのだ。場所を変えるのは気分転換にもなるし。

図書館は、いい!
静かな中にも足音や本を出し入れする音なんかがあって、それがかえって落ち着く。無音より適度な雑音がある方が、自分の世界に浸って集中できるものだ。
お昼ご飯を食べに行くのにちょうど良い頃に、ポメラの電池残量が少なくなっていると警告が出たので、図書館をあとにした。
ポメラって、ACアダプタも付いてたらいいのに。図書館に電源が使える机あるのに。

お昼ご飯。
たいていのファミレスにはドリンクバーがある。安いし飲み物の種類も豊富なので、私もよく利用する。が、ひとりで行く場合はちょっと気が引ける。
私は、「グラスに飲み物を注いで、持って移動」ということができない。誰かと一緒なら、その人に取りに行ってもらえばいいけれど、ひとりのときは店員さんにお願いせざるを得ない。
お水をくれるなら、それで我慢するのだけど、最近はお水もセルフだったりする。どっちみち店員さんに頼まなきゃいけないなら、せめてお金を払うドリンクバーのほうが心苦しさは軽くなる。
「あの、申し訳ないのですが、1杯だけでいいので、烏龍茶を持って来ていただいてもいいですか?」と腰を低くお願いすると、どこの店員さんも快く応じてくれる。
そのときどきで、頼むものは烏龍茶だったり緑茶だったりオレンジジュースだったりする……って、そんなことはどうでもよくて、いくら店員さんが快く応じてくれても、私はやっぱり心苦しいのだ。
今日の店員さんは「いえいえ、1杯と仰らずに、何回でも持ってきますのでお呼び下さい」とまで言ってくれた。メニュー単価がめっちゃ安い店なのに。
あぁ、ありがたい。申し訳ないっす。
まあ、ひとりのときは長居しないので、おかわりしないけど、そう言ってもらえるだけで恐縮してしまう。
客に自分で飲み物を取りに行かせることで、店員さんの手間を省くことにも繋がってるんでしょう? 違うのかな。
なのに、私だけ手を煩わせてしまって申し訳ない。
でも、食事に飲み物がないのは寂しいし、喉が渇くし、料理によっては口の中を飲み物でクリアにしたくなるし、やっぱりドリンクバーは頼みたいんですよ。店員さんの手を煩わせるのが心苦しいからと言って、飲み物を我慢するほど自分を卑下するのは、それはそれで何か違うなとも思うわけですよ。
でもでも、申し訳ないなあって、いつも思うの。
だから、ドリンクバーのある店にひとりで行くのはちょっと気が引ける。
同じ理由で、フードコートなんかも、ひとりで行くのを躊躇する。
もうこれは、100%私の気の持ち方の問題であって、お店がどうのってことじゃあないんですよ。
だからこそ、どうしたもんかなと思い悩む……ってほどでもないけど、申し訳なさは消えない。
名付けて「ドリンクバー問題」ね。

本屋。
ここ何年も、欲しい本はアマゾンで買っている。買う本が決まっているなら、本屋より通販の方がすぐ探せるし持って帰る手間が省けるから。
でも、本屋で偶然見つけて手に取った本を買う、という行為は、やっぱりロマンがあって情緒豊かで心が満たされる。心が鎮まって澄んでいく感覚もある。
たくさんの並んだ本を自分の目で見て、その中の一冊(あるいは二冊、三冊)を選んで買うという一連の行為は、読書の楽しみの中に含まれていると思う。
今日は、平積みになっているよしもとばななに目が止まって、あまり吟味せずに購入を決めた。裏のあらすじを一応読んではみたものの、正直それは私の中で何の決定打でもなくて、装丁が私好みの淡い色合いであるところに惹かれた。
この装丁なら、たぶん面白い、という直感。
不思議なもので、アマゾンの画面を見ただけでは、そういう直感は鈍るんだな。
本屋って、人生の豊かさを視覚化した場所だと思う。
そう言いつつも、あんまり行かなくてごめんなさい。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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